建安16年(211)57歳:巻1「武帝紀」:七月、曹操は西征し、馬超らと関を挟んで陣取った。曹操は激しく守備する一方、ひそかに徐晃・朱霊らを遣って、夜に蒲阪津を渡り、河西に依拠して陣営を張らせた。曹操は潼関から北に渡ったが、未だ渡りきらない時に馬超が船に向かって激しく攻撃した。そこで校尉の丁斐が牛馬を放って賊をおびき寄せると、賊は入り乱れて牛馬を取ったので、曹操はやっと渡ることができて、河に沿って甬道を作り南へ向かった。賊は退却すると、渭口で防御したが、曹操はそこで多くの疑兵を設けて、ひそかに舟に乗せて渭水へ入り、浮き橋を作り、夜、兵士を分割して渭水の南に陣営を作らせた。賊は夜に陣営を攻撃してきたが、伏兵がこれを撃破した。馬超らは渭南に駐屯し、書信をよこして黄河以西を分割するよう要求し、講和を求めてきたが、曹操は許さなかった。1-p.34*, 1-p.076**

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