建安16年(211)57歳:巻1「武帝紀」裴松之注:私裴松之が考えるに、漢の高祖二年、楚と滎陽京・索の間で戦った時、甬道を築いて河に連ね、敖倉の粟を取った。これについて応劭は、「敵が輜重を取るのではないかと恐れて、街路のように垣根を築いたのである」と言っている。今、魏武帝は垣根を築かずに、ただ車を連ね柵を立てただけで両面を防いだ。1-p.36*, 1-p.080** 只今、制作中です。