建安16年(211)57歳:巻21「衛覬伝」裴注引『魏書』:関西の諸将は、表面的には服従するように見せて、内心は信用できない情況だった。司隷校尉の鍾繇は、三千の兵を率いて関中に入り、張魯を討伐するふりをして、諸将から人質を取ろうとした。曹操は荀彧を通じて衛覬に相談し、関中の諸将をとりあえず厚遇しておくのがよいという衛覬の意見に始めは従ったが、鍾繇がその任務を統括していたために、結局は鍾繇の意見に従った。その結果、多くの犠牲者を出すこととなり、曹操は衛覬の論に従わなかったことを後悔し、いよいよ衛覬のことを重んずるようになった。3-p.611*, 3-p.416**

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