建安16年(211)57歳:巻11「国淵伝」:曹操が関中を征伐した時、国淵に留守番をさせた。田銀・蘇伯が河間で反乱を起こした後、その残党の処罰について、国淵は彼らを首謀者ではないから処刑しないようにと請い、曹操はこれを了承した。国淵を頼って生き延びたものは千人余りもいた。また、賊を破ったことを報告する文書において、旧来はその数を十倍にして記録していたが、国淵は実数を挙げた。曹操がその理由を問うと、国淵は「……河間という領域内で起こった反乱なのだから、その数を大きく言うことは恥じるべきだ」と。曹操は大喜びして、彼を魏郡太守とした。2-p.339*, 2-p.311**

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