建安16年(211)57歳:巻15「賈逵伝」:曹操は馬超征伐で弘農まで来た時、「ここは西への道の要である」と言い、賈逵に弘農太守を代行させた。召し出して会見し、彼のことを大いに気に入り、左右の者たちに、「天下の地方長官がみな賈逵のようであれば、私は何の心配もない」と言った。後に、賈逵は屯田都尉が亡民をかくまっているのではないかと疑い、厳しく責め立てて怪我を負わせ、そのことで免職となったが、曹操は心中彼のことを良しとし、丞相主簿とした。2-p.481*, 3-p.136** 只今、制作中です。