建安17年(212)58歳:巻10「荀彧伝」裴注引『献帝春秋』:(200年、董承、誅せらる。伏后が伏完に宛てた手紙について、荀彧は久しく沈黙していた。荀彧は後に自ら曹操のもとに出頭し、知らなかったふりをしようとするが、曹操はこれを責める。)……董昭が曹操を魏公に立てるという発議をするに至って、荀彧は気持ちとして同意できず、そのことを曹操に言おうとした。天子の書簡を持って軍を慰労しに行った時、宴会が終わって、荀彧は曹操に留まって時間を作ってほしいと願い出たが、曹操は荀彧が魏公に封じられることについて言おうとしているのだと知り、会釈して彼を立ち去らせたので、荀彧はついに言うことができなかった。荀彧は寿春で亡くなったが、寿春から亡命した者が孫権にこのことを告げ、曹操が荀彧に伏后を殺させようとしたが、荀彧は従わず、自殺したと述べた。孫権はこのことを蜀に暴露すると、劉備はこのことを聞き、「老いぼれが死んでないから、禍乱はまだ終わっていない」と言った。(裴松之は『献帝春秋』の記述に疑義を呈す)2-p.318*, 2-p.260**

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