建安18年(213)59歳:巻1「武帝紀」裴注引『魏略』:曹操の謝礼の上表を載せて、「私は先帝の厚き恩を被り、郎署に官位を得たが、怠惰な性分で、望みは全て満たされたので、敢えて高い地位を望んだり、栄達を願ったりするようなことはなかった。たまたま董卓が反乱を起こし、義理としては国のために死を賭けるべきであるから、敢えて身を奮い立たせて命を投げ出し、鋒先を砕き衆を率いて戦い、千載一遇の運にめぐり合って、恩前で役目を奉ずることになった。二人の袁氏が気炎を上げて侵略と侮蔑を加えてきた時には、陛下は私と心をおののかせ憂いをともにされ、都を振り返りながら、進んで敵の猛撃を迎え撃ったが、常に恐れていたのは君臣ともに虎の口に陥ることで、実に首を全うすることができようとは自分でも思っていなかった。幸いにも先祖の霊の助けにより、醜悪な輩は滅亡し、それによって微力な私もその間に名声を盗み取ることができた。陛下が恩を加えてくださり、上相の位を授けてくださって、封爵や恩寵俸禄は大変に手厚いもので、日ごろの願望からして、全く予想外のものであった。口と心とから計算しても、しばらくは官位に就き、列侯の位を保持し、それを子孫に残してやり、御世に自らの身を託し、永遠に憂いやとがめから開放されることを望んでいた。思いがけないことに、陛下は手厚い思し召しをくだされ、私のために国を開き九錫を備えてくださり、土地は斉・魯に肩を並べ、礼は藩王と同じく、私のような功績のない者の頂くべきところではない。気持ちを上聞したが、聞き入れてもらえず、厳しい詔勅がしきりに届き、私の心は居ても立ってもいられなくなった。伏して自らを省みるに、官位は大臣に列せられ、命としては王室に従うべきで、この身は自己一人のものではない。どうして自分勝手を言って、愚かな意志を押し通すことができようか。また免職となって、仕官する以前に戻されることもあるだろう。今、領土を奉じて重臣の仲間入りをするのに、敢えて遠く後世にまで恩恵を期待するのではなく、父子で終身身体を投げ打ち、命の限りご恩にむくいたいと誓い合っている。ご尊顔を前に、恐れおののきながら詔を拝受する」と。1-p.41*, 1-p.092** 只今、制作中です。