建安18年(213)59歳:巻11「袁渙伝」:魏国が建てられると、袁渙は郎中令となり、御史大夫の仕事を兼務した。袁渙は曹操に、「天下の大難がすでに除かれた今、文武双方の官を用いるのが国家長久の道である。思うに、大いに書籍を集め、先聖の教えを明らかにし、そうして人民の耳目を一新させ、海内をなびかせたなら、遠方の不服従の人々も文徳によって招きよせることができるだろう」と。曹操はその言を善しとした。時に劉備の死が伝えられ、群臣は皆慶賀したが、袁渙はかつて劉備によって吏に推挙されたので、一人慶賀しなかった。2-p.335*, 2-p.302**

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