建安19年(21460歳:巻1「武帝紀」:安定太守毌丘興が任地に赴くとき、曹操は「羌・胡は中国との通好を望んでいるから、自ら人を派遣してくるに違いない。謹んでこちらから人を派遣しないように。善人は得がたいもので、きっと羌・胡をそそのかして妄りに要求させ、それによって自分の利益を得ようとするだろう。これに従わなければ、すぐに異民族の気持ちを失うだろうし、従えばそれはそれで何も益するところがない」と戒めた。毌丘興が着任すると、校尉の范陵を羌中に派遣し、范陵は果たして羌をそそのかし、自らを属国都尉に任命するよう要求してきた。曹操は「私がこうなることを予知していたのは聖人だからではない。ただ経験が多いからというだけだ」と言った。1-p.42*, 1-p.094** 只今、制作中です。