建安19年(21460歳:巻1「武帝紀」:その初め、隴西の宋建は自ら河首平漢王と称し、枹罕に衆を集めて、改元し、百官を置き、三十余年が経過していたが、夏侯淵を派遣し、興国からこれを討った。冬十月、枹罕を滅ぼし、宋建を斬り、涼州が平定された。1-p.44*, 1-p.097**

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