建安19年(21460歳:巻1「武帝紀」:(十二月)乙未の日に令を発して、「そもそも徳行に優れた人物が必ずしも進取の行動ができるとは限らず、進取の気性に富む人物が必ずしも品行方正とは限らないのである。かの陳平は品行方正であったと言えるか。蘇秦は信義を守ったと言えるか。だが陳平は漢の帝業を定め、蘇秦は弱い燕を救った。これよりすれば、士人に短所があっても、どうして彼を廃することができようか。担当者はこの意義を明察すれば、忘れられたり昇進の滞った人材はなくなり、職務を怠る官人もいなくなるだろう」と。また、「そもそも刑罰は万民の命に関わる大事であるのに、軍中で獄を司る者の中に適任者でないのに、三軍の生死のことを任されているものがいる。私はこのことを非常に危惧している。それ法律に熟達している者を選んで、刑罰のことを司らしめよ」との令を発す。ここにおいて理曹掾属を置く。1-p.44*, 1-p.097** 只今、制作中です。