建安19年(21460歳:巻19「陳思王植伝」裴注引『魏略』:曹操は、丁沖が以前に(天子奉戴について)教示してくれたことに感謝していた。その子の丁儀が立派な人物であることを聞き、直接会っていないのに愛娘を彼に嫁がせようとして、五官中郎将(曹丕)に相談したところ、曹丕は、「女性は容貌を重視するが、丁儀は目が具合が悪いので、愛娘があまり喜ばないのではないかと心配だ。伏波将軍(夏侯惇)の子の楙に嫁がせたほうがいいと思う」と言った。曹操はこれに従った。その後まもなく丁儀を召し出して掾とした。ともに議論して、その才の明晰さを褒めて言った。「丁儀は立派な人物だ。もし仮にその両目が見えなくても、娘を与えるべきだ。ましてただの眇じゃないか。わが子が私を誤らせた」と。時に、丁儀もまた公主を娶ることができなかったことを恨んでいて、臨菑侯(曹植)と親しく、しばしばその奇才を賞賛した。曹操はすでに曹植を立てたいと思っていて、丁儀もまたそれに賛同した。(その後、曹丕が即位すると、丁儀は殺された。)2-p.562*, 3-p.304**

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