建安19年(21460歳:巻12「毛玠伝」:魏国が建国されたばかりの頃、尚書僕射となり、また選挙のことを司った。時に太子は未確定で、臨菑侯曹植が寵愛を受けていた。毛玠は密かに(曹操を)諌めて、「近くは袁紹が嫡庶を分けなかったために国を滅ぼした。太子の廃立は重大なことなので、人の耳に入れるようなことではない」と言った。後に、群僚が会し、毛玠が更衣に立った時、曹操は目で合図して、「彼は古にいう国の司直であり、我が周昌である」と言った。2-p.375*, 2-p.408**

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