建安20年(21561歳:巻1「武帝紀」:三月、曹操は張魯(五斗米道)を征伐しに西に向かい、陳倉まで来て、武都から氐に入ろうとした時、氐人が道を塞いだので、まず張郃・朱霊らを遣ってこれを破った。夏四月、曹操は陳倉から散関を出て、河池に到る。氐王竇茂の衆一万余人は、険阻な土地に依拠して屈服せず、五月、曹操が攻めてこれを陥落させた。西平・金城(涼州)の諸将、麹演・蒋石らは韓遂の首を送ってきた。(裴注引『典略』に、韓遂について記す。)1-p.45*, 1-p.098**

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