建安20年(21561歳:巻8「張魯伝」:張魯は漢中を挙げて曹操に降ろうとしたが、弟の張衛が抵抗した。曹操、蜀に入る。張魯、陽平関の陥落を聞いてすぐさま曹操に投降しようとしたが、功曹の閻圃、これを引き止め、「ある程度抵抗した後に降った方が、評価が高くなる」と。かくして張魯は巴中に入った。左右の者たちは財宝倉庫を焼き尽くそうとしたが、張魯は、「自分はもともと国家に帰順するつもりで、逃亡には悪意がない、財宝倉庫は国家のものだ」として、悉く蔵に封をして去った。曹操はこれを褒め、また、張魯がもともと善意であることを以て、人を遣わしてこれを慰撫・説得した。張魯が家を挙げて出頭すると、曹操は逆に彼を鎮南将軍に拝し、賓客の礼でもてなし、閬中侯に封じた。張魯の五人の子どもたち、閻圃をも列侯に封じた。子の彭祖のために張魯の娘を娶った。張魯が薨ずると、原侯と諡した。1-p.264*, 2-p.127** 只今、制作中です。