建安21年(21662歳:巻12「崔琰伝」:(崔琰は容姿に優れ、威厳があって、朝廷の官僚たちは彼を仰ぎ見、曹操もまた彼を敬した。)曹操が魏王となって、かつて崔琰が推薦した楊訓は曹操の功績を大いに称揚したが、中にはその阿諛追従ぶりを笑い、崔琰の推薦の失敗と見なす者もいた。崔琰は訓から取り寄せた草稿を読み、訓に「内容がよいだけだ。いずれ時代の変化が訪れることだろう」と書き送った。崔琰の本意は、あれこれ言う者は咎めるのを好むだけで、事の情理を理解していないということだったが、ある者が崔琰のこの書簡を世の中を誹謗中傷するものだと上奏した。曹操は怒って崔琰を罰として懲役囚とし、人を遣って様子を観察させたが、くじけた様子がなかったので、「崔琰は刑罰を受けていながら、家には賓客を通し、門は市場の人のような賑わいだ。賓客に対して虯のような鬚で直視し、まるで怒って目をむいているかのようだ」との令を発し、彼に死を賜った。2-p.369*, 2-p.392**

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