建安22年(21763歳:巻13「王朗伝附王粛伝」裴注引『魏略』:(董遇、建安の初めより朝夕に皇帝に侍講し、天子の信頼を得ていた。)二十二年に至って、許中の百官が制を矯する(曹操を殺そうとする計画…訳本)という事件があったが、遇は陰謀に関わっていなかったにも関わらず鄴に呼び出され、散官に遷された。かつて、曹操が西征するのに従い、孟津を経由した時、弘農王の墓を通り過ぎた。曹操は墓参りをしようか迷ったが、董遇は地位を越えて、春秋の義に基づいて参るべきではないということを進言したので、曹操は取りやめた。2-p.420*, 2-p.513**

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