建安22年(21763歳:巻42「蜀書・周群伝」:先主(劉備)が曹操と漢中を争うことについて周群に問うと、周群はこれに反対した。張裕も先主を諌めたが、用いられなかった。武都に入った呉蘭・雷銅らは皆没し、全て周群の言葉どおりとなったので、群を挙げて茂才とした。4-p.1020*, 5-p.329**

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