建安24年(21965歳:巻1「武帝紀」裴注引『魏略』:孫権は上書して自らを臣と称し、天命を説いた。曹操は孫権の書簡を外に向かって示し、「この小僧は私を炉の火の上に座らせようというのか」と言った。侍中の陳羣、尚書の桓階は奏上して、「漢王室は安帝以来、政は公室を去り、皇統がしばしば断絶し、今に至るまで、ただ名号があるに過ぎず、ほんのわずかの土地と人民でさえ、みな漢王室の所有ではなく、命運はとっくに尽きてしまい、暦数もとっくに終わってしまっていて、それは今に始まったことではない。だから桓帝・霊帝の頃、諸々の河図洛書や緯書に明るい者たちは皆、「漢の五行の気は尽きた、黄の気を持つ家が起こるべき時だ」と言ったのだ。殿下はその時運に応じて天下の十分の九を所有しながら漢王室に仕え、人民たちは望みをかけ、そのため遠くの者も近くの者も怨みに思っている。だから孫権は遠くで臣と称したのだ。これは天と人とが感応して、気を異にしながら同じ声を発したのである。臣は愚考するに、虞・夏は謙辞を用いず、殷・周は遠慮なく反対者を追放した。天命をかしこみ、謙譲することのないように」と言った。1–p.52*, 1-p.115** 只今、制作中です。