不明であることは明らか
現在、修訂作業を進めている漢魏晋楽府詩一覧には、
北宋末頃に成った『楽府詩集』に記す、
「魏楽所奏」「魏晋楽所奏」「晋楽所奏」という付記も入れています。
(これは、その楽府詩が、魏や西晋王朝の宮廷音楽として演奏されたことを示すものです。)
『楽府詩集』は、時代的にかなり降ってから成った楽府詩の総集であって、
(以下、「ご利用ください」の「楽府関係年表」を合わせてご覧ください。)
こうした付記が、何を根拠としているのかは不明です。
このことを突き止めたいと思いながら、未だ果たせないでいます。
初唐の歴史家、呉兢の『楽府古題要解』に拠ったかとする説もありますが、
この書物が、呉兢の趣味的な興味関心に出るものであろうことは、
かつてこちらの論文(学術論文17)で明らかにしました。
『楽府詩集』に多く引く文献として、
ほかに、六朝末、陳の釈智匠が著した『古今楽録』があります。
この書は、西晋の「荀氏録」、劉宋の「元嘉正声技録」「大明三年宴楽技録」など、
魏晋音楽が現役であった、あるいは復元されて間もない時期の記録を多く引用していて、
むしろこちらの方が『楽府古題要解』よりも、上述の付記の根拠となり得る資料であったかもしれません。
ただ、仮に『楽府詩集』の編者、郭茂倩がしかるべき資料に拠っていたとしても、
その資料が完全な姿で現存していない以上、その信憑性は依然として不明のままです。
かつて上記の論文で、魏晋の楽府詩の分類に関しては、
『楽府詩集』よりも『宋書』楽志に拠るべきであることを明らかにしましたが、
その『宋書』楽志の記載内容からは魏楽所奏と判断される歌辞が、
『楽府詩集』では晋楽所奏となっている例もあります。
(一例を挙げれば、“楚辞鈔”及び曹操・曹丕の三者による「相和・陌上桑」の歌辞など)
このような具合で、土台から心もとない楽府詩研究ですが、
少なくとも、分かっていることと不分明の境界線は引いておきたいと思います。
魏晋楽府詩一覧は、そのための基礎資料くらいにはなるかもしれません。
作業は、後漢から西晋まで終了しました。
残りは、開始時には視野に入れていなかった、前漢時代の歌謡の追記です。
それではまた。
2019年7月22日