仮託の検討(再び)
こんばんは。
曹植「雑詩六首」其三に歌われた遠征中の夫について、
先日は、呉に出兵した曹丕を暗に指すとする黄節の説を紹介しつつ、
別に、呉に出征した曹操を夫に仮託したと見ることも可能ではないかと述べました。
その後あれこれと考えた挙句、やはり曹操ではないだろうと思い始めています。
その理由は次のとおりです。
まず、兄弟を夫婦に喩えることはあり得ます。
たとえば、曹植「七哀詩」にいう「君若清路塵、妾若濁水泥」について、
「君」は曹丕を、「妾」は曹植を指すとする解釈が大方の賛同を集めていますし、
西晋の宮廷歌曲「怨詩行」は、この詩をそう解釈してアレンジした楽府詩だと見て取れます。*
他方、父子関係を夫婦に喩えるのはどうなのでしょうか。
圧倒的な上下関係にある父子が、夫婦という一対になぞらえられるものなのか、
このあたりのところがよくわかりません。
また、夫を曹操の仮託と見る仮説の一根拠として、
この詩に詠われた、樹木の周りをぐるぐると飛翔する鳥の姿が、
曹操の「短歌行」に見えるフレーズを想起させるということも挙げたのでしたが、
ほぼ同じ辞句が、明帝曹叡の「歩出夏門行」(『宋書』巻21・楽志三)にも見えています。
この「歩出夏門行」の歌辞は、すべて明帝曹叡の手に出るのか、
西晋の宮廷歌曲に採られた際に、曹操「短歌行」の句がその中に取り込まれたのか、
あるいは、曹叡や曹操といった個人のみには属さない、広く愛唱された歌辞であったのか、
いずれにせよ、樹木の周りを飛ぶ鳥のイメージは、曹操にのみ結び付けられるべきものではない、
となると、先に試みた仮説は根拠薄弱なものとなってしまいます。
やっぱり黄節のいうように、南方にいる君とは曹丕のことを詠じているのでしょうか。
それならば、曹植の中で、曹丕に対する気持ちのあり様が変化したということかもしれません。
曹植の他の作品をもっと読み進めながら、もうしばらく考察を続けます。
なお、人は本質的に変わらない、とも言いますが、変わり得ると私は思っています。
2020年5月29日
*拙論「晋楽所奏「怨詩行」考 ―曹植に捧げられた鎮魂歌―」(『狩野直禎先生追悼三国志論集』汲古書院、2019年9月)を参照されたい。(こちらの学術論文№43)