元白応酬詩札記(4)
こんにちは。
元稹「酬楽天八月十五夜禁中独直玩月見寄」に、
白居易から贈られた詩が、「瞥然」として寄せられた「塵念」と表現されていました。
(昨日2020.06.28の雑記)
何意枚皋正承詔、瞥然塵念到江陰。
何ぞ意(おも)はんや 枚皋 正に詔を承りしとき、瞥然たる塵念 江陰に到らんとは。
このような句を含む元稹からの応酬詩を、白居易はどう受け止めたのでしょうか。
二人の間でこのような詩の応酬が為されたのは、元稹が江陵に左遷された元和五年(810)、
その七年後、白居易が江州に左遷されてから二年後に当たる元和十二年(817)、
この語がほとんどそのままのかたちで、
今度は、白居易から元稹に寄せられた書簡の中に現れます。
「与微之書」(『白氏文集』巻28、1489)に、こう見えているのがそれです。
平生故人、去我万里。瞥然塵念、此際暫生。*
往年からの友人は、私から万里も離れたところにいる。
ちらりとひらめいた世俗的な思いが、このときしばし私の中に生じた。
この書簡は、次のように書き始められます(冒頭の日付などは省略)。
微之、微之、不見足下面、已三年矣。不得足下書、欲二年矣。
微之(元稹の字)よ、微之よ、君の顔が見えなくなってもう三年、
君から書簡が貰えなくなってから、まもなく二年になろうとしている。
どんなに相手を思慕しているかがしのばれます。
続けて、白居易は自身の江州での安らかな暮らしぶりを綴ります。
便りがないのを、君が心配しているだろうから、と。
そして、書簡に封をするときの情景を記した後で、
前掲の句が現れ、さらに続けて三韻六句から成る詩が綴られています。
白居易のこの書簡に引かれた「瞥然塵念」は、明らかに元稹の詩を意識しています。
では、白居易はどのような思いから、かの辞句を引用したのでしょうか。
このことについて、少し丁寧に考えてみたいと思います。
2020年6月29日
*岡村繁訳注『白氏文集 五(新釈漢文大系)』(明治書院、2004年)p.439に、「塵念」の用例として前掲の元稹詩を引く。ただ、その語句が共有されていることの意味については言及されていない。