先人との出会い

こんにちは。

何かと出会うのには時機があるとつくづく思います。

昨日、『詩経』関係の論著を図書館から借りてきました。
そして帰宅後、それとは別の、同じ著者による本があることに気づきました。
目加田誠著『詩経』(日本評論社、1943年)という、長い歳月を経たたたずまいの本。*1
自分で買ったのではなくて、ある方からいただいたものです。

学生時代、いつも目加田誠先生の眼差しの下で勉強していました。
研究室の壁に、先生の肖像写真が掛かっていたのです。
けれど、先生の著書に対しては近づこうともしませんでした。
若さとは無知で傲慢で粗野なものだと思います。

六朝期末の五言詩評論、鍾嶸『詩品』の上品に、
曹植の詩は、『詩経』国風にその源流があると論じられています。
たしかに、彼の詩には『詩経』に由来する語が頻見します。
けれども、今、そうした表現を精査する際、
多くは、完本の伝わる『毛詩』に拠らざるを得ません。
伊藤正文氏がつとに指摘しているとおり、*2
曹植は、「韓詩」によって『詩経』を学んだようですが、
その彼が捉えていた『詩経』的文学世界を、
政治的な色彩の濃い『毛詩』によって推し測っているのが現状です。

しかし、目加田誠の『詩経』研究によって、
少なくとも『毛詩』(毛伝・鄭箋・正義)の呪縛から解き放たれ、
まだ三家詩(斉詩・魯詩・韓詩)が活きていた漢魏の頃の、
曹植が触れていた『詩経』の纏う空気を想像できるようになるかもしれません。

2022年2月18日

*1 目加田誠『詩経』は、1991年、講談社学術文庫として再刊された。このことは、野間文史『五経入門:中国古典の世界』(研文出版、2014年)第四章「詩(毛詩・詩経)」から教わった。
*2 伊藤正文『曹植(中国詩人選集3)』(岩波書店、1958年)p.22を参照。