再び出自未詳の李陵詩について

先週話し始めた“出自未詳の李陵詩”に再び立ち返って、
なぜ件の詩を比較的新しいと感じたのか、その理由のひとつを示します。

曹植「七哀詩」と同一句「明月照高楼」を共有する次の対句、

05 明月照高楼  明月 高楼を照らし、
06 想見餘光輝  餘りある光輝を見んことを想ふ。

この下の句を見たとき、まず思い浮かべたのが、
次に示す古詩「凛凛歳云暮」(『文選』巻29「古詩十九首」其十六)です。

独宿累長夜  独り宿して長き夜を累ね、
夢想見容輝    夢に想ひて容輝を見る。

一人で過ごす宿で長い夜を重ねているうちに、
私は夢にあなたを想い、あなたはその輝かんばかりの姿を現した。

“輝き”と“想”“見”といった語が組み合わさったとき、
その“輝き”とは、思いを寄せる相手の容貌と解釈するのが妥当だと思われます。

また、「想見」という語に限れば、
楽府詩「塘上行」(『宋書』巻21・楽志三ほか)にも次のような句が見えています。

念君去我時  君が我を去りし時を念ひ、
独愁常苦悲  独り愁へて常に苦悲す。
想見君顔色  君が顔色を想見すれば、
感結傷心脾  感は結ぼれて心脾を傷ましむ。

あなたが私のもとを去ったときのことを繰り返し思い、
ひとりぼっちで愁いに沈み、いつもひどい悲しみに打ちのめされています。
あなたのお顔を思い浮かべると、
感情の糸が結ぼれて、心臓脾臓が傷めつけられます。

さて。前掲の古詩「凛凛歳云暮」は、
以前に述べた特別な古詩群には属さない、比較的新しい時代の後続作品です。*

また、「塘上行」の作者は、
『宋書』楽志では魏武帝(曹操)、

『玉台新詠』巻2では甄皇后(魏文帝曹丕の皇后)とされています。

要するに、冒頭に示した“出自未詳の李陵詩”の対句は、
魏の皇族たちによる詩歌や、比較的後出の古詩と近しい表現を共有しています。

この現象を、件の“李陵詩”から複数の漢魏詩が派生したものと見るか、
それとも、件の“李陵詩”が、複数の漢魏詩から表現を取り込んだのだと見るか。
私は後者の方だと考えました。
そして、件の“李陵詩”を、魏よりも更に下った時代の作だと見ました。
このことについては、明日も続けて考えます。

それではまた。

2020年3月5日

柳川『漢代五言詩歌史の研究』(創文社、2013年)第四章第三節(初出はこちらの学術論文№29)を参照されたい。