即興と自家類似

曹植作品は、彼の他の作品との間でその辞句を少なからず共有しています。
本日訳注を施した「箜篌引」にも、幾つかの事例が見出せました。

「贈丁廙」や「贈徐幹」といった作品との間に同一句や類似句が見出せたりすると、
そこから「箜篌引」の成立年代が推し測れるのではないかと思ったりもします。
丁廙は曹丕が魏王となった年(220)に、徐幹は建安22年(217)に亡くなっているので、
それと近い時期に本詩も作られたのではないかという見通しです。

他方、文帝期(黄初年間)の作である「大魏篇(鼙舞歌)」との間にも、
本詩は同一句を共有しています。

すると、建安年間の最末期頃の成立という仮説が立つかもしれません。

そもそも、同じような辞句が随所に現れるとはどのような場合なのでしょうか。

曹植は沈思黙考型の文人ではなく、
即興で言葉が次々にあふれ出てくるようなタイプの詩人であったようです。

そうした人の場合、
比較的最近生まれた表現が、
まだ彼の記憶の中に残っている間に、
別の作品にも顔を出すということがあるかもしれません。

自身の表現をなぞるというよりも、
また、何かを意図して過去の自分の表現を踏まえるというのでもなくて。

どうでしょうか。*

それではまた。

2020年3月19日

*趙幼文『曹植集校注』(人民出版社、1984年)は、本詩を明帝期の作と推定しています。