徐幹「室思」詩の解釈(承前)
昨日、沈徳潜の徐幹「室思」詩に対する論評を紹介しました。
その対象となったのは次に示すような作品です。
(『玉台新詠』巻1、「室思一首(六章)」其六)
01 人靡不有初 人は誰にでも初めのよき時があるといいますが
02 想君能終之 あなた様はそれを最後まで全うしてくださいますよう
03 別来歴年歳 お別れしてから長い年月を経たものです
04 旧恩何可期 昔の恩愛はどうして期待することができましょう
05 重新而忘故 新しい人を重んじて古馴染みを忘れることは
06 君子所尤譏 君子の咎めるところです
07 寄身雖在遠 遠くに身を寄せているとはいえ
08 豈忘君須臾 どうしてあなた様のことを一瞬でも忘れましょう
09 既厚不為薄 十分に手厚い恩情をいただいて薄情だとは思っておりません
10 想君時見思 あなた様が時には私のことを思ってくださいますよう
冒頭二句は、『毛詩』大雅「蕩」にいう次の句を踏まえています。
靡不有初 初め有らざるは靡(な)し
鮮克有終 克(よ)く終り有ること鮮(すく)なし
ここからして既に、本詩が単なる閨怨詩ではないことを匂わせています。
第5句に見える新人と古馴染みとを対比させる発想は、
『玉台新詠』巻1「古詩八首」其一に「新人は故に如かず」とあるほか、
曹植「浮萍篇」に「新人は愛す可しと雖も、故人の歓に若かず」とあります。
曹植のこの閨怨詩は、その底に文帝曹丕に対する骨肉の情が流れている作品ですが、
それと共通する要素を持つのが徐幹のこの詩なのです。
(古詩にも見える、よくある発想を織り込んだだけかもしれませんが)
また、第6句の「君子の尤譏する所なり」という表現は、
曹植「箜篌引」にいう次の句を想起させます。
久要不可忘 久要 忘る可からず、
薄終義所尤 終はりに薄きは義の尤(とが)むる所なり。
曹植のこの辞句は、腹心の者たちに将来を約束する趣旨のものです。
すると、徐幹詩にいう「重新而忘故、君子所尤譏」もまた、
君臣関係の文脈で言っているのかもしれません。
第9句の「既に厚しとして薄しと為さず」については、
前掲「箜篌引」の句に対する李善注(『文選』巻27)が、
『列子』力命に、管仲の鮑叔牙・隰朋に対する人材登用上での評価を述べて、
「厚之於始、或薄之於終(始めに厚く、或いは終りに薄し)」とあるのを挙げています。
すると、徐幹の句もまたそうした文脈で捉えるのが妥当かもしれません。
このように見てくると、
沈徳潜が徐幹「室思」詩を君臣関係において解釈しようとしたことは、
あながち無理筋のものでもなかったと言えるように思います。
2026年3月19日