昨日の補足説明

昨日は唐突なことを述べました。
自分にとっては重要な示唆を、曹植作品から与えられたものだからうれしくて。
でも、ほとんどの方々にとっては何のことやらでしょう。

そこで、以下、少し補足説明をしたいと思います。
(かつて発表した拙論の一部をふたたび紹介することをお許しください。
 [論著等とその概要]の学術論文及び著書№4をあわせてご覧いただければ幸いです。)

漢代詠み人知らずの五言詩に、古詩と総称される作品群があります。
この中に、古くから別格視されてきた一群(第一古詩群と仮称)があって、(学術論文№14)
それらは一説に、前漢初期の辞賦作家、枚乗の作だとされていました。
その当否はともかく(ほぼ間違いなく当たっていません)、
この特別な古詩群が彼の名に仮託されていたことは確かであって、
このことにより、古詩は知識人社会に広く流布していったと推測することができます。(学術論文№22、29)

さて、この第一古詩群は、更に、
宴という場に悲哀の情感をもたらすものとして歌われた詩と、
その宴という場そのものの情景を詠じた詩とに分けて捉えることができ、
その中でもより古層に属する詩群は前者であると言えます。(学術論文№18、21)
昨日述べた「原初的古詩」とは、これです。

興味深いことに、この原初的古詩の中に、枚乗とのつながりを示すものがあります。
昨日提示した『文選』所収曹植「七啓」の李善注に、

枚乗楽府曰、美人在雲端、天路隔無期。
枚乗の楽府に曰く、美人 雲端に在り、天路 隔たりて期する無し、と。

と示すのがそれで、李善が、枚乗作と明記するのはこれのみです。
(この歌詩は、『玉台新詠』巻一には、枚乗「雑詩八首」其六として収載されています。)

李善の指摘するとおり、
曹植がその「七啓」で歌姫に歌わせている「清歌」は、
明らかに枚乗作とされた楽府詩(あるいは「雑詩」)を踏まえています。

ということは、
曹植「七啓」に描かれた、香草を持った白い手を高く掲げて歩み出る女性は、
先述の原初的古詩を歌唱していた、と見ることが可能でしょう。

前漢時代の宮廷の庭園で、
曹植が描いたような情景が実際に繰り広げられていたのであれば、
古詩誕生の場に関する自分の仮説は、あながち的外れではなかったのかと思いました。

それではまた。

2019年8月6日