晋楽所奏「清商三調」

こんばんは。

以前、曹植「七哀詩」を楽府詩に変換した、
楚調「怨詩行・明月」(『宋書』巻21・楽志三)について論じたことがあります。
この徒詩と楽府詩との間にある辞句の違いに着目して、
「怨詩行」が、西晋時代の人々による、曹植への鎮魂歌である可能性を述べたものです。
その際、楚調は、いわゆる「清商三調」の中に含まれるものとして考えました。

ただ、そうすると、「清商三調」の撰者である荀勗が、
この「怨詩行」を晋楽所奏の歌曲として取り込んだ張本人だということになり、
彼という人物の為人や足跡とは相容れないものを感じざるを得ません。
(ことの詳細は、こちらの№43からご覧いただけます。)

また、『宋書』楽志三所収の「清商三調」には、
その歌辞の配列や、選択された楽曲に、少しく偏りがあるように感じます。

気になっていたこれらの点を少しでも明らかにしたいと思い、
改めて、晋楽所奏「清商三調」とは何なのか、整理し直してみました。
こちらの一覧表がそれです。

『楽府詩集』、『宋書』楽志三、王僧虔「技録」、荀勗「荀氏録」所収歌辞の一覧表で、
こちらに公開している「漢魏晋楽府詩一覧」を利用して並べ替えてみたものです。
(各資料の説明は、同ファイルの「説明」シートをご覧ください。)

こうしてみると、平・清・瑟の三調曲については、
「荀氏録」と『宋書』楽志三とは、よく重なることに気づかされます。

他方、『宋書』楽志所収の「大曲」諸歌辞と楚調「怨詩行」は、
「荀氏録」には記録が見当たりません。

もっとも、「荀氏録」は釈智匠『古今楽録』(『楽府詩集』所引)に引かれて伝わるので、
完全に「無い」とは言い切れないのですが。
それでも、中には、「荀氏録」に瑟調曲として記録されていながら、
『宋書』楽志は「大曲」として収載する「艶歌羅敷行」のような例もありますから、
少なくとも「大曲」と「荀氏録」とは重ならないと見ることができます。

荀勗の撰になる『宋書』楽志三所収「清商三調」に、
「大曲」と楚調「怨詩行」は含まれていなかったと見た方が妥当かもしれません。

2022年5月10日