曹植「惟漢行」に関する疑問点

こんばんは。

曹植「惟漢行」は、即位したばかりの明帝を諫めるのがその趣旨でしょう。

この作品の成立が明帝の太和元年であるということは、曹海東氏の指摘が至当です。

そして、本詩の末尾四句が周文王を念頭に置いていることも諸家の指摘するとおりであり、
そのうちの『書経』無逸は、周公旦が周文王の逸事を成王に伝える文献です。

周文王、周の武王、成王、周公旦の関係が、
曹操、曹丕、曹叡、曹植の血縁関係に重なることはすでに述べました。

以上のように見てくると、
曹植は自身の立場を周公旦に重ね、
新しく即位した明帝を、周の成王に見立てて、
周文王になぞらえられる曹操の仕事ぶりを称揚しつつ、新皇帝を戒めた、
それが彼の「惟漢行」だと言えるでしょう。

ただ、そうすると腑に落ちないことがあります。

「惟漢行」という楽府題は、曹操の「薤露・惟漢二十二世」に由来するものですが、
その曹操の「薤露」が拠ったのは、元来が葬送歌である「薤露」古辞です。
それを踏まえて、曹操は「薤露」で滅びゆく漢王朝を弔ったのです。

それならば、曹植の「惟漢行」は、何を弔っているのでしょうか。
前の王朝を弔うことならば、当時としては当然ですが、
まだ魏王朝は二代目に代わったばかりです。

それとも、別に何を弔うわけでもないのでしょうか。

魏王朝の宮廷歌曲「相和」中の一曲として、
曹操の「薤露・惟漢二十二世」は明帝期も歌われていました。
そのメロディも歌辞もまだ現役です。

それを思うと、新皇帝を諫める歌が葬送歌だというのが腑に落ちないのです。

2020年7月17日