曹植「矯志」の不可解さ

曹植の詩には難解なものが少なくありませんが、
「矯志」もそのひとつです。

4年ほど前に読んだときには、
一句一句の意味を、出典に照らして通釈するだけで精一杯でした。
今回、その訳注の見直しをしながら作品全体を通読し、
はじめてその不可解さに気づきました。

解題に「戒めの言葉を詠じた四言詩」と書きはしたのですが、
では、いったい誰に対する戒めなのでしょうか。

4句ずつ一章を為すとして、各章には、
個人的立場について戒めているように見える部分と、
為政者の立場について戒めているように見える部分とがあるようです。
本詩は全体としてどちらに向かって詠じられたのでしょうか。

また、冒頭の一章は、その内に矛盾を内包しているようです。
香しい「芝桂」は魚釣りの餌には適さないといい、
一方、「尸位素餐」では居場所が無いと詠じていますが、
このふたつのことはどのように連結するのか、分かり難く感じます。

同じことは、第二章についても言えます。
磁石は、鉄を引き寄せ、金を引き寄せることはない、とはまるで、
価値ある者が捨て置かれていることを言っているかのように読めますが、
これに続けて、「大朝」の人材登用において「愚」は挙げられないといいます。

これらの句の中で、曹植その人の立場はどこに置かれているか。
それは、「芝桂」「金」であり、「尸位素餐」「愚」であるかと思われます。

もしそうした比定が成り立つのであれば、
これは、ほとばしる自身の慷慨を矯めようとした言葉なのかもしれません。

けれども詩の後半、「矯」の対象は為政者へと移るようです。
このように、戒めが方々に散っているというところに、
本詩の主題を探る糸口が隠されていそうです。

2026年2月18日