曹植「責躬詩」の概要と背景
こんばんは。
曹植「責躬詩」の不明点を挙げて、その分からなさを分析していく中で、
岩盤のようだったこの作品も、ようやくその輪郭をたどれるようになりました。
以下、その概要と背景となっている出来事を示してみます。
01 於穆顕考 時惟武皇 02 受命于天 寧済四方 03 朱旗所払 九土披攘 04 玄化滂流 荒服来王」
⇒父であり魏の高祖である武帝曹操の偉業を称賛する。
05 超商越周 与唐比蹤 06 篤生我皇 奕世載聡 07 武則粛烈 文則時雍 08 受禅于漢 君臨万邦」
⇒武帝曹操・文帝曹丕の二代で築かれた魏王朝の偉業を称賛する。
09 万邦既化 率由旧則 10 広命懿親 以藩王国」
⇒魏王朝の成立後、皇帝の弟たちに王朝の藩となるよう命じられたことをいう。
11 帝曰爾侯 君茲青土 12 奄有海浜 方周于魯 13 車服有輝 旗章有叙 14 済済雋乂 我弼我輔」
⇒王朝の藩となるよう命じられ、赴任する場面を描写する。
15 伊余小子 恃寵驕盈 16 挙挂時網 動乱国経」17 作藩作屏 先軌是隳 18 傲我皇使 犯我朝儀」
⇒臨淄侯であった時、監国謁者潅均にその傲慢なふるまいを報告されたことをいう。
19 国有典刑 我削我黜 20 将寘于理 元兇是率」21 明明天子 時惟篤類 22 不忍我刑 暴之朝肆」
⇒魏王朝の刑法により処罰されかけたとき、文帝の計らいで罪を免れたことをいう。
23 違彼執憲 哀予小臣
⇒文帝の計らいで、罪を減じられ、安郷侯に任命されたことをいう。
24 改封兗邑 于河之浜
⇒まもなく安郷侯から鄄城侯に改封されたことをいう。
25 股肱弗置 有君無臣 26 荒淫之闕 誰弼余身」
⇒鄄城侯であった時、東郡太守の王機らから誣告されたことをいう。
27 煢煢僕夫 于彼冀方 28 嗟余小子 乃罹斯殃」
⇒王機らの誣告により、鄄城から都洛陽に出頭したことをいう。
29 赫赫天子 恩不遺物 30 冠我玄冕 要我朱紱」31 光光大使 我栄我華 32 剖符授土 王爵是加」
⇒都洛陽で、文帝の計らいにより、鄄城侯から鄄城王に爵位を進められたことをいう。
33 仰歯金璽 俯執聖策 34 皇恩過隆 祗承怵惕」
⇒手厚い待遇に対する謝意と畏れとを述べる。
35 咨我小子 頑凶是嬰 36 逝慙陵墓 存愧闕庭」
⇒武帝や文帝を前にして、自身の頑固で傲慢な態度に恥じ入る気持ちを述べる。
37 匪敢傲徳 寔恩是恃 38 威霊改加 足以没歯」
⇒文帝に対して、その恩恵にすがりたいという気持ちを述べる。
39 昊天罔極 生命不図 40 常懼顛沛 抱罪黄壚」
⇒文帝から受けた恩恵に報いることができないのではないかとの恐れを述べる。
41 願蒙矢石 建旗東岳 42 庶立毫氂 微功自贖」43 危躯授命 知足免戻 44 甘赴江湘 奮戈呉越」
⇒文帝への恩返しとして、呉への出陣を志願したいと述べる。
45 天啓其衷 得会京畿 46 遅奉聖顔 如渇如飢 47 心之云慕 愴矣其悲 48 天高聴卑 皇肯照微」
⇒上京した洛陽で、文帝曹丕との対面を切望する気持ちを述べる。
(こちらでは、通釈と共に、概要を示しました。訳注稿と併せてご覧いただければ幸いです。)
こうしてみると、
かなりの分量の言葉を費やして表現されている出来事や思いと、
さらりと流して記されているだけの出来事と、かなりの落差があるようです。
さらりと流されていて、詩の表現面ではその意味が不明瞭だった部分も、
「黄初六年令」など曹植の他の文章と突き合わせることにより、かなり分かってきました。
史実と食い違う表現は、この「責躬詩」が文学作品である以上、当然ありますが、
それでもそれは、『三国志』陳思王植伝に明記されていないところを補って余り有るものです。
歴史家・陳寿は、そのことを分かっていて本作品を引用したのかもしれない、
そんな穿った見方もしてみたくなるような、現実と地続きの作品でした。
(具体的なところは、日々雑記[曹植「責躬詩」への疑問]1~6などをご覧ください。)
なお、史実と食い違う未解明部分については、今後も考察を継続したいと思っています。
2022年1月6日