曹植が示唆してくれた。
曹植の「七啓」(『文選』巻三十四)を縦覧していて、
次のような辞句に出会いました。
燿神景於中沚 神々しい光を水辺に輝かし、
被軽縠之繊羅 軽やかな縮み絹のうすものを身に纏い、
遺芳烈而静歩 鮮烈な芳香を送り届けんとして静かに歩みを進め、
抗皓手而清歌 白い手を差し伸べて清らかな歌声をあげる。
曰 その歌辞にいう、
望雲際兮有好仇 雲のきわを遠く望めば、好ましい人がそこにいるのに、
天路長兮往無由 天に至る道のりは長くて、向かおうにもその手立てがありません。
佩蘭蕙兮為誰修 香しい蘭蕙を身に帯びて、誰のための装いでしょう。
宴婉絶兮我心愁 あなたとの親密な宴が絶たれ、私の心は愁いでいっぱいです。
三行目にいう「遺芳烈」について。
まず、「芳烈」は、下に続く歌に見える香草「蘭蕙」につながるでしょう。
「蘭蕙」は佩びていますが、手にも香り高い草を持っていたと見ることができます。
というのは、「芳烈」は「遺」という動詞の目的語だからで、
「芳烈」を「遺」するとは、『楚辞』九歌に見える次のような句を想起させます。
被石蘭兮帶杜衡、折芳馨兮遺所思。(「山鬼」)
折疏麻兮瑶華、將以遺兮離居。(「大司命」)
搴汀洲兮杜若、將以遺兮遠者。(「湘夫人」)
「遺」の意は、これらの用例から判断して、「送り届ける」だと見るのが妥当です。
こうしてみると、先に示した曹植の辞句は、
古詩「渉江采芙蓉」「庭中有奇樹」(『文選』巻二十九)によく似ていることに気付かされます。
唐突に感じられるでしょうから、説明しますね。
かつて私は古詩の中でも最も古い層に属するものを抽出し、
それらと前漢の後宮文化、及び『楚辞』九歌との関連性を論じたことがあります。
(こちらの学術論文№27、及び著書№4の第二章第二節第三項をご覧ください。
前掲の古詩や『楚辞』の翻訳も、その中に示してあります。)
その中で、前掲のいわば原初的古詩の生成に関して、次のような仮説を提示しました。
すなわち、「渉江采芙蓉」のような原初的古詩が誕生した背景には、
後宮の女性たちを交えた宴席の場(王朝の庭園)で、
実際に水辺で香草を手に取り、遠方に向けて捧げる女性たちの姿があったのではないか、と。
期せずして、その傍証となり得る資料を曹植「七啓」の中に見出すことができました。
もちろん、上述のような解釈が妥当か、更に精査は必要ですが。
それではまた。
2019年8月5日