曹植が見ていた絵図

丁晏『曹集詮評』巻9に、「画説」と題する次のような文章が収録されています。

観画者、見三皇五帝、莫不仰戴。見三季暴主、莫不悲惋。見簒臣賊嗣、莫不切歯。見高節妙士、莫不忘食。見忠節死難、莫不抗首。見放臣斥子*1、莫不歎息。見淫夫妬婦、莫不側目。見令妃順后、莫不嘉貴。是知存乎鑑者図画*2也。

絵を観覧する者は、三皇五帝(伏羲・神農・女媧、黄帝・顓頊・帝嚳・堯・舜)を目にすれば、誰もが敬愛して仰ぎ見る。三代の末世の暴君(夏の桀・殷の紂・周の幽王)を目にすれば、誰もが悲嘆に暮れる。君主の地位を奪い、父を殺して即位した者たちを目にすれば、誰もが激しい怒りを覚える。高い節操を持つ素晴らしい人士たちを目にすれば、食事も忘れて感嘆する。忠義の心で国難に身を捧げた者たちを目にすれば、誰もが気持ちを高ぶらせて面を上げる。国から放逐された忠臣や孝子を目にすれば、誰もが落胆のため息をつく。淫乱な夫や嫉妬深い妻を目にすれば、誰もが軽蔑して横目でにらむ。立派で柔順な后妃を目にすれば誰もが褒め称えて尊崇する。ここから、戒めの鏡としての役割を存するのは絵画であると知られるのである。

他方、同書の巻6には次のような作品が並んでいます。

「庖犧賛」「女媧賛」「神農賛」「黄帝賛」「少昊賛」「顓頊賛」「帝嚳賛」「帝堯賛」「帝舜賛」「夏禹賛」「殷湯賛」「湯祷桑林賛」「周文王賛」「周武王賛」「周公賛」「周成王賛」「漢高帝賛」「漢文帝賛」「漢景帝賛」「漢武帝賛」「羌嫄簡狄賛」「禹妻賛」「班婕妤賛」「吹雲賛」「赤雀賛」「許由巣父池主賛」「卞随賛」「商山四皓賛」「三鼎賛」「禹治水賛」「禹渡河賛」「楽観画賛」「古冶子等賛」

前掲の「画説」は、これらの画賛に関連付けられていたものではないでしょうか。
ここには、古代から漢代に至るまでの帝王や后妃、高い節操を持つ隠士たちの名が見えています。

と思ったら、清朝の厳可均が夙にこのことを指摘していました(『全三国文』巻17)。

前掲の曹植の文章は、
唐の張彦遠『歴代名画記』巻1に「曹植有言曰」として記され、
北宋の『太平御覧』巻751は、『歴代名画記』からの引用としてこれを収載しますが、
明の張溥『漢魏六朝百三家集』所収『陳思王集』巻1は、「画説」としてこれを収録しています。
(清朝末の丁晏は、この張溥本に拠って、明の万暦年間刊行の程氏本を補ったのですね。)

厳可均は、張溥本にいう「画説」という題目を非とし、
別に『太平御覧』巻750に「画賛序」として引く文章と同じく、
これ(前掲のいわゆる「画説」)もまた「画賛序」であろうと推定しています。

すると、曹植は前掲の文章に記されたような歴史的人物を描く多くの絵図をながめ、
これに賛を寄せたということでしょう。

こうした絵図については、曹植の前掲の文章とともに、
かつて拙論(学術論文42)で言及したことがありますが(原稿はこちら)、
もう少し踏み込んで検討し、修正したいことも出てきました。

それではまた。

2019年11月25日

*1 「放臣斥子」、『曹集詮評』は「忠臣孝子」に作る。『漢魏六朝百三家集』も同じ。今、『太平御覧』に拠って改める。
*2 「図画」、『曹集詮評』は「何如」に作る。『漢魏六朝百三家集』も同じ。今、『太平御覧』に拠って改める。