曹植における『韓詩』の援用(2)

この題(特に「援用」という言葉)はしっくりこないのですが、
以前(2020年11月27日)にこう題して書いたので、それを踏襲します。

曹植が『詩経』を韓詩によって摂取しているらしい例が、
本日公開した「妾薄命 二首(1)」の中にも見い出されました。
それは、『詩経』周南「漢広」に出る「漢女」という語です。

この語の用例として、馬融「広成頌」(『後漢書』巻60上)に、
広成苑での舟遊びを描写して「湘霊下、漢女游(湘霊下り、漢女游ぶ)」とあり、
李賢等の注に、詩云「漢有游女(漢に游女有り)」とあります。

ところが、現存する『毛詩』を見ても、
毛伝には「漢の上(ほとり)の游女」とあり、
鄭箋には「賢女雖出游流水之上……(賢女の流水の上に出游すと雖も……)」と言い、
そのどこにも「湘霊(湘水の女神)」と並ぶような要素がありません。

対を為す「湘霊」について、李賢等注は『楚辞』九歌「湘夫人」を挙げており、
これとのバランスから見ても、ここは『詩経』が妥当なのですが。

曹植の「妾薄命」でも、「漢女」と「湘娥」とが並んでいて、
「湘娥」は前掲の「湘霊」と同じく、湘水に没した娥皇ら姉妹を言いますから、
この「漢女」が女神であることはほぼ間違いありません。

それで、陳喬樅『三家詩遺説考』(『清経解続編』巻1150)を見たところ、
その韓詩遺説攷一「漢広」の条に、「漢女」は漢水の女神だとする韓詩の説を記していました。

訳注稿の「漢女」の語釈は、この清朝の学者によって導かれたものです。

2023年3月13日