曹植における転蓬の表象

昨日述べたように、
曹植「盤石篇」に詠じられた「飄颻澗底蓬」は、
『説苑』敬慎にいう「秋蓬」を踏まえている可能性が高いと言えます。

もしそうであるならば、本詩における「蓬」の表象には、
たとえばかの「吁嗟篇」に詠じられているような、
一族との繋がりを絶たれて転封を重ねる曹植のイメージのみならず、
それに、自身の過去を悔いる人物のイメージが重ねられているかもしれません。

というのは、前掲『説苑』では、「秋蓬」が次のような文脈で登場するからです。
少し煩瑣にはなりますが、その全文と通釈を示せば次のとおりです。

魯哀侯棄国而走斉。
斉侯曰、「君何年之少而棄国之蚤。」
魯哀侯曰、「臣始為太子之時、人多諌臣、臣受而不用也。人多愛臣、臣愛而不近也。是則内無聞而外無輔也。是猶秋蓬、悪於根本而美於枝葉、秋風一起、根且拔也。」

魯の哀公が国を棄てて斉に出奔した。
斉侯が問うた。「君はどうして若年にして国を早々に棄てたのだ。」
魯の哀公が答えた。「私ははじめ太子だった時、人は私を多く諫めてくれたが、私はその意見を受けながらも用いなかった。人は多く私を愛してくれたが、私は彼らを愛しながらも親密になろうとはしなかった。これだと内には直言する者はなく、外には輔佐する者はないという情況になる。これはちょうど、秋の蓬が、その根っこをないがしろにして、枝葉ばかりを立派にし、ひとたび秋風が起こると、根っこごと抜けてしまうのと同じだ。」

魯の哀公はこのように、自身の拠り所とすべき根本を大切にせず、
為政者としての資質に欠けるところの多かった自身を悔いる言葉とともに、
その有り様を、秋の転蓬という喩えを用いて述べています。

曹植は、ここまで意識して『説苑』のこの故事を用いたのではないか。

もしそうだとするならば、
本詩の冒頭に象徴的に示される蓬は、
自身の寄る辺なき境遇に対する悲嘆のみならず、
そうした境遇を招き寄せた自身の至らなさにも触れていることになります。

もちろん、曹植の具体的な足跡は、魯の哀公に重なりはしません。
「盤石篇」は、作者が自身を主人公にして詠ずる詩歌ではありません。
ただ、もし曹植の脳裏に、魯の哀公にまつわるこの故事があったとすれば、
その「盤石篇」に「泰山」や「淮東」といった地名の登場するわけが納得されます。

そして、このことが確実だとするならば、
魯の哀公が、蓬の喩えを、過去への悔恨という文脈で用いていることをも含めて、
曹植は意識的にこの故事を踏まえた可能性があると考えます。

なお、この故事は、「雑詩六首」其二(『文選』巻29)に用いられていることが、
『文選』李善注によって指摘されていたのでした。

この「雑詩」は、表現・内容ともに、かの「吁嗟篇」と深く重なり合います。
「吁嗟篇」は、曹植の生涯を象徴する詩として多く言及されます。
すると、転蓬に付与された上述のようなイメージは、
曹植その人における自己認識にも広がる可能性があるかもしれません。
あくまでも可能性であることは心しておきます。

2025年10月27日