曹植の為人

こんにちは。

先週、曹氏兄弟の間に生じた悲劇は、
当人たちの人柄に帰着させるのではなくて、
魏王朝の制度や組織を背景において考えるべきだと述べました。
けれど、同じ環境の中に投げ込まれたとしても、
その為人によって、その環境が当人に及ぼす影響は変わってくるでしょう。

そこで思うのは、曹植はどのような人柄であったのかということです。
彼は兄曹丕への屈託を抱えている、と以前の私は見ていました。
けれども、このところ曹植の作品を読み進めるにつれ、
かえって彼の純粋さのようなものが際立ってくるのを感じています。
(普通は逆のケースが多いだろうと思うのですが。)

以前に読んだ作品を思い起こしてみても、
彼を曹操の後継者として強く推した丁廙に贈った詩では、
人は善行を積めば必ず余沢に恵まれるのだから、
君は、細かいことに拘泥する俗儒のようにはなってくれるな、と説いていました。
その中に、兄への屈託を感じさせる句を含んでいますが、
本詩を贈る相手への眼差しは真っ直ぐです。

また、「贈王粲」では、
不遇をかこつ王粲の独り言のような詩に彼の焦燥感を感じ取り、
万物を潤す密雲は、あまねく恵みをもたらしてくれるはずだと慰撫していますし、
「贈徐幹」でも、隠者的な生活を送る徐幹に対して、
宝玉のような美質は、いずれきっと世に広く知られることになろうと詠じていました。

その一方で、「贈丁儀王粲」詩は、相手に対して不躾にも思える言葉を含み、
(それは宴席上で作られた諧謔の詩である可能性が指摘されています。*1)
「説疫気」のように、民たちの蒙昧さを嘲笑する文章もありました。

思いのほか、曹植は無垢な人だったのかもしれません。
だから、特に若かった建安年間には不用意な言動を繰り返しましたし、
明帝期に入ると、自分を魏王朝における周公旦と位置付けたりもしたのでしょう。*2

そんな人物に対して、
曹丕のような資質の人は恐れを感じるかもしれません。
彼の残忍さは、この不安感から生じたように思われてなりません。

2022年11月28日

*1 龜山朗「建安年間後期の曹植の〈贈答詩〉について」(『中国文学報』第42冊、1990年10月)を参照。
*2 拙論「曹植における「惟漢行」制作の動機」(『県立広島大学地域創生学部紀要』第1号、2022年3月)pp.145―157をご覧いただければ幸いです。