歴史上の人物を詠じた作品の制作年代
本日、「曹植作品訳注稿」の「豫章行」其一、其二を公開しました。
徐公持も指摘するように、*1
詩中、多くの聖賢が詠われている中で、
周公旦だけが、其一、其二の双方に登場しています。
其一では、名もなき庶民に対しても分け隔てなく接した人物として、
其二では、骨肉の兄弟である管叔鮮と蔡叔度から流言を飛ばされた人物として。
徐公持は、そうした周公旦と曹植の境遇がよく重なるという理由で、
「豫章行」二篇を、明帝期の作だと見ています。
曹植の兄曹丕の子である明帝曹叡は、周公旦の兄武王の子である成王に、
そして曹植は、立場上、成王を補佐した周公旦に重なるからです。
同じように、趙幼文もまた、本作品を明帝期に繋年しています。*2
私から見ても、この見解は妥当だろうと思います。
ただ、周公旦への言及は、何も晩年の曹植にのみ認められるわけではありません。
かつて指摘したように、曹植の「娯賓賦」では、周公旦は父曹操を指して云うもので、
しかもそれは宴席における曹操の様子をこのように描写しているのであって、
曹操自身も、その「短歌行・対酒」(『文選』巻27)の中で、
かくありたき人物として周公旦を詠じています。
「娯賓賦」は、ほぼ間違いなく、曹植が幸福であった建安年間の作でしょう。
もしかしたら、周公旦のどの側面に注目しているかという視点から、
彼を詠じた作品の制作年代が割り出せるのかもしれません。
作者がどのような境遇の中にいようが、
歴史上の人物は変わりなくその胸中に居続けているはずですが、
その人物のことを衷心から敬愛し、強く引きつけられるようになるには、
それ相当の経験と、その経験を内面化する心のはたらきが必須だろうと思うからです。
近しい肉親に裏切られた周公旦に思いを馳せるということは、
曹操や親しい文人たちに囲まれていた、建安年間の曹植には起こりそうもありません。
2023年8月1日
*1 徐公持『曹植年譜考証』(社会科学文献出版社、2016年)p.412を参照。
*2 趙幼文『曹植集校注』(人民文学出版社、1984年)p.414を参照。