01-17 娯賓賦

01-17 娯賓賦  賓を娯しましむるの賦

【解題】
賓客をもてなす、曹操主催の宴席の様子を詠じた賦である。『曹集詮評』は第一・二句を佚文とする。厳可均『全三国文』巻十三に従い、『初学記』巻十によって補う。第三句以降は『初学記』巻十四に収載。

感夏日之炎景兮、 夏の日の炎景に感じ、
游曲観之清涼。  曲観の清涼なるに游ぶ。 
遂衎賓而高会兮、 遂に賓を衎(たの)しましめんとして高会し、
丹幃曄以四張。  丹幃は曄(かがや)きて以て四(よも)に張らる。
辦中廚之豊膳兮、 中廚の豊膳を辦(ととの)へ、
作斉鄭之妍倡。  斉鄭の妍倡を作(な)す。 
文人騁其妙説兮、 文人は其の妙説を騁(は)せ、
飛軽翰而成章。  軽翰を飛ばして章を成す。
談在昔之清風兮、 談は昔の清風に在り、
総賢聖之紀綱。  賢聖の紀綱を総(す)ぶ。
欣公子之高義兮、 公子の高義を欣ぶ、
徳芬芳其若蘭。  徳は芬芳として其れ蘭の若し。
揚仁恩於白屋兮、 仁恩を白屋に揚ぐること、
踰周公之棄餐。  周公の餐を棄つるを踰ゆ。
聴仁風以忘憂兮、 仁風を聴きて以て憂を忘れ、
美酒清而肴甘。  美酒は清くして肴は甘し。

【通釈】
夏の太陽の、炎のような光に炙られて、涼やかな曲観に遊ぶこととなった。かくして賓客を楽しませようと立派な宴席が設けられ、丹色の帳が輝きわたって四方に張り巡らされる。厨房の中では豊富な御膳が整えられ、斉や鄭の国からやってきた見目麗しい芸能が披露される。文人たちは機知に富んだ清談を繰り出し、軽やかな筆を飛ばしつつ美しい詩文を作り上げてゆく。昔の清らかな気風について談論し、聖賢たちの定めた綱紀を俯瞰する。我が君は、公子の高雅なる心構え、その徳義が蘭のようにかぐわしく盛んなことを喜んでおられる。仁愛あふれる恩沢を粗末な家に住む賢者たちにまで施し、かの周公旦が食事を中断してまで賓客を迎え入れた逸話をも超えておられる。その仁徳による教化の風に身を任せて憂いを忘れよう。美酒は清らかに澄み、肴はうまい。

【語釈】
○曲観 曲がりくねった複雑な景観を持つ高楼か。用例に乏しい語。
○衎賓 賓客をもてなす。この語も用例に欠しい。
○高会 盛大に宴会を催す。
○丹幃 深紅の垂れ幕。
○辦中廚之豊膳兮 類似句として、「贈丁廙」(04-14)に「嘉賓填城闕、豊膳出中厨(嘉賓 城闕に填(み)ち、豊膳 中厨より出づ)」、「箜篌引」(05-01)に「中厨辦豊膳(中厨 豊膳を辦(さば)く」と。
○斉鄭之妍倡 斉や鄭の見目麗しい芸能。いわゆる鄭声は、雅楽とは区別される俗楽をいう。傅毅「舞賦」(『文選』巻十七)に、鄭舞を咎める楚の襄王に対して、宋玉が答えて「大小殊用、鄭雅異宜(大小 用を殊にし、鄭雅 宜しきを異にす)」と。斉の音楽については、前掲の「贈丁廙」詩に「斉瑟揚東謳(斉瑟は東謳を揚ぐ)」、「箜篌引」に「斉瑟和且柔(斉瑟 和にして且つ柔なり)」と見えている。
○妙説 機知にとんだ清談。漢代以来、宴会のような社交の場では遊戯的な談論が楽しまれていた。岡村繁「清談の系譜と意義」(『日本中国学会報』第十五集、一九六三年)を参照。
○飛軽翰而成章 軽やかに筆を走らせて即興で詩作することをいう。「章」は、韻文の一節。宴席で詩の競作が行われていたことは、たとえば曹丕「与呉質書」(『文選』巻四十三)に「毎至觴酌流行、絲竹並奏、酒酣耳熱、仰而賦詩(觴酌の流行し、絲竹の並び奏せらるるに至る毎に、酒は酣にして耳は熱し、仰ぎて詩を賦す)」と。
○欣公子之高義兮 「公子」は、曹丕を指す。「公宴」(04-01)や「侍太子坐」(04-02)にも見える。すると、その「高義」を喜んでいるのはその父曹操と見るのが自然だろう。
○揚仁恩於白屋兮、踰周公之棄餐 「白屋」は、質素な家に住む庶民。「周公之棄餐」は、周公旦が、食事の時間も惜しんで客人と会い、優れた人物を登用したことをいう(『韓詩外伝』巻三、『史記』巻三十三・魯周公世家)。古楽府「君子行」(五臣注本系『文選』巻二十七)に、「周公下白屋、吐哺不及餐。一沐三握髪、後世称聖賢(周公 白屋に下り、吐哺して餐に及ばず。一沐に三たび髪を握り、後世に聖賢と称せらる)」と。曹操の「短歌行(対酒)」(『文選』巻二十七)にも「周公吐哺、天下帰心(周公は哺を吐きて、天下は心を帰す)」とあり、曹操の周公旦への傾倒ぶりが窺える。ここに周公を越えると称賛されているのは、曹操と見るのが妥当だろう。
○聴 従う。
○仁風 仁徳によるそれとない教化。用例として、やや時代は下るが、西晋の応貞「晋武帝華林園集詩」(『文選』巻二十)に「玄沢滂流、仁風潛扇(玄沢 滂く流れ、仁風 潛かに扇ぐ)」と。