宴席歌謡と建安詩

古詩は、その展開経緯と成立時期をある程度たどることができますが、
古楽府(古詩と似たところのない)の方は、ほとんど手がかりがつかめません。
(古詩と似た古楽府については、こちらをご覧ください。)

曹植「雑詩」にいう「出亦無所之、入亦無所止」は、
次に示す『太平御覧』巻25所引「古楽府歌詩」の中によく似た句を見い出せます。
この古楽府はいつ頃に成ったのでしょうか。

01 秋風蕭蕭愁殺人 秋風がひゅーひゅーと吹いて、私を酷く悲しくさせる。
02 出亦愁、入亦愁 家から出ても悲しく、入っても悲しい。
03 胡地多飆風   胡の地にはつむじ風がしょっちゅう吹き起こり、
04 樹木何修修   樹木のなんとざわざわと吹きなぶられていることか。
05 離家日趨遠   家を出た私は故郷から日ごとに遠ざかり、
06 衣帯日趨緩   衣や帯は日ごとに緩くなってきた。
07 心思不能言   心中の思いはとても言葉に出しては言えず、
08 腸中車輪転   はらわたの中は車輪が回転しているかのようだ。

このうち、05・06「離家日趨遠、衣帯日趨緩」は、
『文選』巻29「古詩十九首」其一にいう、
「相去日已遠、衣帯日已緩(相去ること日に已て遠く、衣帯日に已て緩し)」に、
表現も内容もとてもよく似ています。

また、07「心思不能言」は、
『玉台新詠』巻1「古詩八首」其七に見える、
「悲与親友別、気結不能言(親友と別るるを悲しみ、気結ぼれて言ふ能はず)」と
よく似た辞句を共有しています。

更に、この句を含む07・08「心思不能言、腸中車輪転」は、
『楽府詩集』巻62「悲歌行」の末尾にもまったく同一の句が見えています。

以上に挙げた「悲歌行」と二首の古詩は、類似表現を共有していません。
すると、前掲「古楽府歌詩」は、これらの古詩・古楽府の後に成ったかもしれません。

この論法は、一昨日(3月7日)の[古詩と建安詩]と同じです。
ただ違うのは、「古詩八首」其七と「悲歌行」は、成立時期が未詳だということです。

他方、前掲「古楽府歌詩」の03・04「胡地多飆風、樹木何修修」は、
『宋書』巻21・楽志三・「塘上行」にいう、
「辺地多悲風、樹木何修修(辺地悲風多し、樹木何ぞ修修たる)」に酷似し、
しかも、「塘上行」のこの句の直前には
「出亦復苦愁、入亦復苦愁(出でても亦た復た苦だ愁へ、入りても亦た復た苦だ愁ふ)」とあって、
これは前掲「古楽府歌詩」の「出亦愁、入亦愁」と、明らかな影響関係を持っています。

『宋書』楽志三所収「塘上行」は、
西晋王朝で演奏された「清商三調」のうちの清調曲なので、
宮廷音楽として整えられる段になって、この古歌を取り込んだのかもしれません。

このように見てくると、
もし、曹植「雑詩」が前掲「古楽府歌詩」を踏まえているのだとしたら、
両者の成立時期はかなり近接しているかもしれないと思えてきます。
「古楽府歌詩」が、上記のとおり、複数の詩歌を踏まえており、
そうだとすれば、その成立はそれほど古くはないだろうと見られるからです。

先に示した「古楽府歌詩」は、
『古詩紀』巻7にも「古歌」として収載されており、
その「古歌」では、「入亦愁」の下に次の句が入っています。

座中何人誰不懐憂 ここにいる人で、誰が憂いを抱いていないものか。
令我白頭 私も憂いですっかり白髪頭となった。

もし前掲「古楽府歌詩」がこの「古歌」と同一作品であるなら、
「座中」という言葉から、それは宴席で歌われる歌謡であったと推測できます。
そうした歌は、瞬く間に口承で広まっていくものでしょう。
曹植は、宴席で耳にした流行歌謡の一節を、自らの詩に取り込んだのかもしれません。

2023年3月9日