牽強付会か推定か
敢えて一般的に言うならば、
中国の研究者は、詩の内容と現実の出来事とを結びつけて解釈することが多く、
日本の研究者は、詩と現実とを切り離して解釈しようとする傾向が強いように見えます。
たとえば、昨日言及した「浮萍篇」について、
伊藤正文『曹植』(岩波・中国詩人選集、1958年)は、
古直の解釈を、非常に冷静な態度で次のように紹介しています(p.167)。
制作年代を、古直は黄初年間と推定する。
古直はこの篇を、棄婦に託して、兄弟君臣の感を歌ったものと考えたからであろう。
古直『曹子建詩箋』について、伊藤氏は、
「「文選」注なども収められており、教えられる所が多く、
特に古直氏のは、私には非常に有難かった」とまで述べているのですが(前掲書p.24)、
それでも、先人の説をつとめて客観的に扱おうとする姿勢が読み取れます。
そこで、古直の前掲書を見ると、
曹植「浮萍篇」の句「和楽如瑟琴」に対して、
『詩経』小雅「棠棣」を挙げ、更に「種葛篇」との類似性にも論及しています。
つまり、こちらの雑記で述べたことをさらりと指摘しているのです。
また、「浮萍篇」の表現について、「種葛篇」以外にも、
「閨情二首」其一(『曹集詮評』巻4、『玉台新詠』巻2「雑詩五首」其四)との類似性を、
具体的な辞句を挙げて指摘しています。
ただ、古直は、それらの句を「浮萍篇」の辞句と「同意」としか記していません。
このような記し方だと、ひとつの推測と見なされてしまうのかもしれません。
牽強付会の説と、根拠ある推定と、その分岐点はどこにあるのでしょうか。
作品の表現内容と現実の事物とを、その類似性のみに依拠して結びつけるならば、
それは牽強付会の説に落ちてしまうでしょう。
けれども、表現相互の関係性を精査しつつ、
なぜ作者がそのような表現上の関係性を作り出したのか、
あるいは、作者も意図しないところでなぜそのような関係性が生じたのか、
それを詰めていった先に見えてくるものは、根拠ある推定となり得るのだと考えます。
2024年6月6日