白居易の晩年
複雑すぎる現実に背を向けて、個人の幸福を追求する、
そんな生き方について昨日述べました。
それは、主に現代の私たちのことを述べたのですが、
唐代の白居易も、そんな生き方をした人だと想起されるでしょう。
たしかに一見、そのように思えます。
ですが、この詩人(文人官僚)にはもっと複雑な面があるように思います。
白居易はその晩年、
官僚としての第一線を退き、副都洛陽で悠々自適の日々を送ります。
ちょうどこの頃の作「想東遊五十韻」(『白氏文集』巻57、2717)(著書5)に、
次のような句があります。
良辰宜酩酊 すばらしいひとときはとことん酔っぱらうがよい。
卒歳好優遊 歳月はのんびりゆったり過ごすのにもってこいだ。
一見、世俗の煩わしさから解放されたよろこびを詠じているかのように見えます。
ですが、次の古典を踏まえていることに気づき、私は愕然としました。
『春秋左氏伝』襄公二十一年に、
「詩曰、優哉游哉、聊以卒歳、知也」とあり、
これに対する杜預の注に、
「『詩』小雅。言君子優游於衰世、所以辟害、卒其寿、是亦知也」とある。
白居易は決して天下泰平を言祝いでいるのではないのですね。
「卒歳好優遊」という表現の背後に、
「衰へたる世」において「害を辟(避)ける」知性を言っているのです。
『春秋左氏伝』は、知識人たちにとって必読の書でしたから、
白居易本人はもちろんのこと、それを読んだり朗誦したりした人々も、
みな上記のことはわかっていたはずです。
(詩歌にのせて詠えば、だれもそれをとがめることはできません。)
何人かの方々がすでに論及されているように、
白居易の晩年には、半隠遁的と片付けられないところがあります。
私自身も、以前に書いた論文(学術論文33、報告…等18)について、
提示した事実は事実でも、その解釈は妥当だったのか、
まだ釈然としないものを感じています。
それではまた。
2019年6月21日