私にはあなたが必要だけれど

王粲「雑詩」(『文選』巻29)に応えた、曹植の「贈王粲」(『文選』巻24)。
この作品についてはかつて論じたことがありますが(学術論文№31)、
本日、新たに思いついたことがあります。

少し長くなりますが、この二首の詩を提示します。
まず王粲の「雑詩」から。

日暮遊西園  日が暮れて西園に遊び、
冀寫憂思情  憂鬱な気分を洗い流したいと思った。
曲池揚素波  湾曲する池は白い波を揚げ、
列樹敷丹栄  列をなす樹木には一面紅い花が咲いている。
上有特棲鳥  その上にただ一羽で棲む鳥がいて、
懐春向我鳴  連れ合いを求める彼女は、私に向かって鳴き声を上げた。
褰袵欲従之  私は衣を持ちあげてこの鳥に従っていこうとしたが、
路嶮不得征  路が険しくて赴くことができない。
徘徊不能去  行きつ戻りつして立ち去ることができず、
佇立望爾形  その場に立ち尽くしておまえの姿を眺めやっていた。
風飈揚塵起  そこに、塵を巻き上げて突風が起こり、
白日忽已冥  白日は忽然と薄暗がりに包まれた。
迴身入空房  私は身を翻して空っぽの寝室に戻り、
託夢通精誠  夢に託して真心を送り届ける。
人欲天不違  人が強く願うことに、天は必ず応えてくださるのだから、
何懼不合并  一緒になれないのではないかなどと、何を心配することがあろうか。

これに応えた曹植の詩は次のとおりです。

端坐苦愁思  正座していると憂いに気持ちが押しつぶされそうになり、
攬衣起西遊  上着を手に取り、起き上がって西の方へ遊びに出た。
樹木発春華  樹木は春の花を開き、
清池激長流  清らかな池は勢いよく途切れなく流れている。
中有孤鴛鴦  その中に一羽の鴛鴦がいて、
哀鳴求匹儔  悲しげに鳴きながら連れ合いを求めている。
我願執此鳥  私はこの鳥を捕まえたいと思ったが、
惜哉無軽舟  残念なことに、そこまで漕ぎだす小舟がない。
欲帰忘故道  帰ろうとしたが、もと来た道を忘れてしまっていて、
顧望但懐愁  周囲を見渡しながら、ひたすら憂いを抱くばかりだ。
悲風鳴我側  悲しげな音を上げる風が私の傍らを吹き過ぎて、
羲和逝不留  白日は過ぎゆくばかりで留まりもしない。
重陰潤万物  恵みの雨をもたらす雲は万物を潤すのだから、
何懼沢不周  どうして恩沢が行き渡らないことを心配する必要があろう。
誰令君多念  いったい誰があなたにあれこれと思い悩ませ、
自使懐百憂  自ら様々な憂いを抱くようにさせるのか。

このように、王粲の詩と曹植の詩とは、
同じ語句を用いながら、敢えて違いを打ち出しているところが少なくありません。
そのうち、本日はじめて理解できたように思えたのは、鳥の描き方です。

王粲の描く、樹木の上で鳴いている鳥は、おそらく曹操を指すでしょう。
他方、曹植が描くのは池の中にいる鴛鴦であって、王粲の描くそれとは重なりません。
では、曹植が描く鳥は何を暗示しているのか。それは王粲だと見るのが妥当でしょう。

ここまでは、比較的たやすく推測できます。
では、なぜその鳥を、曹植は掴まえたいのにそれができないと詠じているのか。

私はあなたを求めている、と詠われると、
その詩を受け取った人は、とてもうれしくなるでしょうね。

曹植は、王粲の気持ちが曹操に向かっていることは当然知っています。
そのことは、「贈王粲」詩の最後の四句を見れば明らかです。
ですが、そんな王粲に、私はあなたが欲しいのだがそれは叶わぬ夢だ、と詠えば、
我が身の処遇に不安を覚えている王粲は慰められ、元気づけられたのではないでしょうか。

熱心に聞いてくれる留学生に引き出してもらった解釈です。

それではまた。

2019年10月9日