記憶に残る考察

こんにちは。

先週は、昨年いちど形にした論文の書き直しに没頭していました。
さる学術雑誌に投稿したけれど、不採択になったものです。
別の学会で口頭発表することになったので、抜本的に見直してみたところ、
これがとても論じにくい問題であることを痛感させられました。
結論には、今でも改めるべき点はないと考えていますし、
論拠も自分としては十分に挙げたつもりですが、
それをどのような構成で示せばわかってもらえるか、それが難しい。
再考の機会を得て、実に幸運だと思います。

これまでにも、同じような難しさに遭遇したことがあります。
たとえば、「曹植「贈丁儀」詩小考」(こちらの学術論文№34)などは、
今でも、あの時の結論はあれで本当によかったのかと、思い起こしては考えます。
その、何か釈然としない感じが、その後の別の考察と結びつき、
そこから曹植の新たな側面が見えてきたりもしますので、
自分の鈍さや試行錯誤も役に立ちます。

さて、鄭振鐸『中国俗文学史』の翻訳をしていて、
「古詩十九首」(『文選』巻29)其一「行行重行行」に再会し、
その結句「努力加餐飯」の前でハタと立ち止まりました。
その文章の流れから見て、鄭振鐸はおそらく、
「がんばってご飯を食べる」のは女性だと捉えているようです。
一方、自分は以前、これを女性から男性への別れの言葉として訳しました。*

そう訳すに当たって、かなり考察を重ねた記憶があったので、
昔のノートを出して確認してみました。

するとやっぱり、そう判断するに至った根拠が書いてありました。
その具体的な内容は、明日に回します。

2021年8月15日

こちらをご覧ください。拙著『漢代五言詩歌史の研究』(創文社、2013年)から、第一古詩群(別格扱いの古詩群)の通釈を抜き書きしています。第一古詩群については、こちらをご参照いただければ幸いです。