諸事雑感
こんばんは。
先日、大学からの求めに応じて、自身の研究内容を紹介する書類を提出しました。
地域の企業との連携に資するシンクタンクのようなものを作ることが目的のようでした。
自分にはあまり関係がなさそうなので、ならばいっそ存分に、とばかり、
研究の概要を次のように書いて出しました。
中国3世紀、三国魏の文学は、それ以前の文学とは一線を画するとされています。ですが、その実相や、そうした特徴が出現した経緯は未だ明らかにはされていません。それは、魏の文学の土台となった漢代の文化的状況が未解明だからです。
私はかつて、魏の文学を特徴づける五言詩の源流を、前漢後期の後宮に探し当て、その生成展開の場を、後漢時代の宴席という場に突き止めて、五言詩という文学ジャンルの本質を歴史的に究明しました。さらに、この漢代の宴席という場に着目し、場を共有する様々な文芸と五言詩歌とが融合して、新たな文芸ジャンルを創出していった過程を明らかにしました。
これらの宴席文芸はすべて、曹植を含む魏の建安文人たちに引き継がれ、知識人の文学として磨き上げられます。ところが、そこから踏み出すものを内在させているのが曹植の作品です。では、それは具体的にどのような要素で、それが生じたのはなぜでしょうか。また、それは続く時代の文人たちにどのような影響を与えたでしょうか。この問いが、目下第一の研究テーマです。
この他、白居易の文学や、漢文学的見地からの宮島学など、縁あって携わることとなった研究も行っています。
なんだか少しえらそうです。
研究者として過不足ない自己紹介ができるようになりたいものです。
その前には、本学のまた別の部署から、
地域の方々や高校生たちに向けた研究紹介が求められました。
本学への進学を考えている高校生たちの中に、
中国古典文学に興味を持っている人が何人いるのか、非常に心もとないですが、
そんな雑念は振り払って、真正面からまじめに書きました。
ただ、なんとなく疲れてしまいます。
自分が教員としての仕事を始めた当初は、こんなに自己PRなるものは求められませんでした。
座して人を待つ時代は終わって、自分から打って出る時代になったのかもしれません。
正直なところ、あと十歳若かったら、自分はもたなかっただろうと思います。
とはいえ、地味に研究することを誰にも咎められることはないので。
一方、自分の声が誰かに届くことを夢見ていることもたしかです。
それならばいっそ、とばかりに、本サイトのトップ「ご挨拶」に少し追記をしました。
さて、先日来、曹植詩に認められる自在な浮揚感に注目してきましたが、
こうした詩想は先秦時代の『楚辞』にすでに見えるものです。
曹植が『楚辞』からインスパイアされたものは、
屈原という悲劇的ヒーローの生き方よりは、
この古典的詩集に横溢する奇想的作風の方だったのかもしれません。
他方、曹植詩は『詩経』国風の系譜に連なる、と『詩品』には述べられていました。
今読んでいる作品がたまたま遊仙楽府詩だから、
『楚辞』との詩想の近似性が目に留まったというだけかもしれません。
もっと多くの作品を読んでからでないと、適正な判断はできないと肝に銘じます。
また、一旦言葉にしてしまうと、それが思考にバイアスとして作用するので、
そのことにも自覚的でなければと思います。
2021年7月22日