魏王朝に向けられた目

魏王朝が諸王親族に対して冷酷であったことについて、
『三国志』巻20「武文世王公伝」裴松之注に引く『袁子』にも次のような記述が見えます。

(前略)県隔千里之外、無朝聘之儀、隣国無会同之制。
諸侯游猟不得過三十里、又為設防輔監国之官、以伺察之。
王侯皆思為布衣而不能得。
既違宗国藩屏之義、又虧親戚骨肉之恩。
……諸侯王は千里の外に隔てられ、朝廷からの招聘の沙汰もなく、隣国どうし会合する制度もなかった。
諸侯は出遊に三十里を超えてはならず、加えて防輔・監国の官が設けられ、彼らの動向を見張った。
王侯たちは皆平民になりたいと思ったけれども叶わなかった。
これは、諸侯が朝廷の守りとなるという大義に違うばかりか、親戚骨肉の恩情にも欠ける仕打ちだ。

『袁子』は、『隋書』経籍志・子部・儒家類に著録されている『袁子正書』で、
その著者である袁準は、先にも言及したことのある袁渙の子です。
袁渙は、曹操と対等の立場で意見を述べた人物である一方、
建安18年(213)、曹操に魏公となるべく九錫の受理を勧めた人物の一人です。
(『三国志』巻1「武帝紀」裴注引『魏書』)

このような家系に連なる人物が、魏王朝に対して厳しい目を向けている。
しかもこの袁準は、阮籍や嵆康ともかかわりを持つ人物です。

それではまた。

2019年12月27日