2020年 一覧情報 2020年12月08日 初平02年(191)37歳:巻10「荀彧伝」:荀彧は、袁紹は大事を成し遂げられないと判断してその下を去り、曹操に従う。曹操は大いに悦び、「私の子房(張良)だ」と言って司馬とした。時に二十九歳。当時は董卓が猛威を振るっていたが、曹操に問われた荀彧は、「董卓は暴虐がひどすぎるから、きっと世を乱して終りだ。たいしたことはできない」と答えた。2-p.308*, 2-p.234** 2020年12月08日 初平02年(191)37歳:巻1「武帝紀」:黒山賊の于毒・白繞・眭固ら十余万の軍勢が、魏郡・東郡に侵入し、王肱(前年に東郡太守に)はこれを防げず、曹操が兵を率いて東郡に入り、白繞を濮陽にて攻撃し、破った。袁紹は、これにより曹操を表して東郡太守とし、東武陽を治めさせた。1-p.8*, 1-p.024** 2020年12月08日 初平02年(191)37歳:巻12「鮑勛伝」裴注引『魏書』:袁紹が韓馥の位を強奪して冀州に拠点を置くと、鮑信は曹操に、「奸臣は隙に乗じて王室を転覆させようとした。英雄たちが並び起こって天下の人々がこれに呼応したのは正義だからだ。今袁紹は盟主でありながら利権を独り占めし、乱を起こそうとしている。これはもう一人董卓が出てきたのと同じだ。これを抑えようとしてもこちらには制圧する力がなく、ただ災難を起こすだけだ。しばらくは黄河の南を正し、彼に事変が起こるのを待つのがよい」と言い、曹操はこれを善しとした。曹操が東郡太守となると、鮑信を表して済北相とした。2-p.384*, 2-p.428** 2020年12月08日 初平02年(191)37歳:巻1「武帝紀」:夏四月、董卓、長安へ帰る。秋七月、袁紹、韓馥を脅して冀州を奪う。1-p.8*, 1-p.023** 2020年12月08日 初平01年(190)36歳:巻7「呂布伝附張邈伝」:袁紹は曹操に、自らの傲慢を諌める張邈を殺させようとしたが、曹操は聞き入れず、「孟卓(張邈)は親友だ。正しく是非を論評して許容すべきだ。今、天下は未だ定まっていないのに、内輪もめするのはよくない」と責めた。張邈はこれを知り、ますます曹操のことを徳ある人物とみるようになった。1-p.221*, 2-p.014** 2020年12月08日 初平01年(190)36歳:巻9「曹仁伝」:曹仁、豪傑が一斉に蜂起したとき、若者を集めて淮・泗の間を回っていたが、曹操に従って別部司馬、行厲峰校尉となった。1-p.274*, 2-p.152** 2020年12月08日 初平01年(190)36歳:巻9「夏侯惇伝」:曹操、行奮武将軍となって、夏侯惇を司馬とし、別に白馬に駐屯させ、その後、折衝校尉に遷して東郡太守とした。1-p.267*, 2-p.137** 2020年12月08日 初平01年(190)36歳:巻1「武帝紀」裴注引『魏書』:曹操は大笑いして、「私はあなたの言いなりにはならないよ」と言った。袁紹はまた人を遣って曹操に、「今袁公の勢力は盛んで兵は強く、二人の子は既に成長している。天下の群雄のうち、誰が彼を越えられようか」と説かせたが、曹操は応じなかった。これにより益々袁紹を不公正と判断し、彼を誅滅せんと図った。1-p.8*, 1-p.024** 2020年12月08日 初平01年(190)36歳:巻1「武帝紀」:袁紹はまたかつて手に入れた玉印を、曹操のいる座中でその肘に向って挙げて見せた。曹操はこれに笑いながらも憎悪した。1-p.8*, 1-p.023** 2020年12月08日 初平01年(190)36歳:巻1「武帝紀」裴注引『魏書』:曹操の袁紹に対する答えとして、「董卓の罪は四海に明らかだ。我等は大衆を合し、義兵を起こして遠近となく皆がこれに応じた。これは正義による行動だからだ。今、幼主は微弱で、奸臣に制御されているが、まだ漢の昌邑王劉賀が国を滅ぼしたような罪過があるわけではない。それなのに一旦改易してしまうと、天下はどうして安定しよう。諸君は北(劉虞)に向え、私は西(現在の皇帝)に向う」と。1-p.8*, 1-p.023**