2020年 一覧情報 2020年12月08日 初平01年(190)36歳:巻22「衛臻伝」:衛茲は董卓を討伐するのに従軍して卒した。曹操は郡の境を通るたびに、使いを遣って彼を祀った。3-p.647*, 3-p.495** 2020年12月08日 初平01年(190)36歳:巻7「呂布伝附張邈伝」:汴水での戦いで、張邈はその将衛茲を曹操に従わせた。1-p.221*, 2-p.014** 2020年12月08日 初平01年(190)36歳:巻1「武帝紀」:張邈はその将衛茲を遣って、西に向かう曹操に随行させた。曹操は滎陽の汴水まで来ると董卓軍の将徐栄と出会い、戦うも利あらず、多くの士卒が死傷した。曹操は流れ矢に当り、馬も傷を受けたが、従弟の曹洪が馬を曹操に与えたので、夜にまぎれて遁走できた。徐栄は、曹操が少ない陣営で尽日力戦するのを見て、酸棗はたやすくは攻められないと判断し、彼もまた退却した。1-p.7*, 1-p.022** 2020年12月08日 初平01年(190)36歳:巻1「武帝紀」:二月、董卓は諸将の挙兵するを聞き、天子を移して長安に遷都、自分は洛陽に駐屯して宮室を焼き払う。この時、袁紹は河内に、張邈・劉岱・橋瑁・袁遺は酸棗に、袁術は南陽、孔伷は潁川、韓馥は鄴に駐屯していた。董卓の兵は強く、袁紹らは先へ進めず。曹操は「義兵を挙げて暴乱を誅するのだ。大軍勢はすでに集まっている。諸君は何を躊躇しているのか。もし董卓が山東の挙兵を聞きつけ、王室を楯にして、土地の険しさに拠って、東に向って天下に望んだら、道義なきやり方ではあっても、かなり面倒なことになる。今、彼は宮室を焼き払い、天子を脅して遷都し、海内は動揺して、どこへ帰着するかわからない状態だ。これこそ上天が人界を滅亡させる時だ。一戦すれば天下は定まる。この機会を失ってはならない」と言い、軍を率いて西に向かい、成皋に根拠地を置こうとした。1-p.7*, 1-p.020** 2020年12月08日 初平01年(190)36歳:巻12「鮑勛伝」裴注引『魏書』:曹操は袁紹と、鮑信を表して行破虜将軍とし、韜を裨将軍とした。時に袁紹は最も勢力が大きく、豪傑たちは多く袁紹に傾いたが、鮑信だけは曹操に、あなたこそが天下の混乱を収めることができる人間だと言って、自ら深い交わりを結び、曹操もまた彼に親しみを持ち、高く評価した。2-p.384*, 2-p.427** 2020年12月08日 初平01年(190)36歳:巻1「武帝紀」裴注引謝承『後漢書』:王匡は若い頃、蔡邕と仲がよかった。董卓軍に敗れると泰山に敗走し、勇士数千人を集めて張邈と合流しようとした。匡は先に執金吾の胡母班を殺したが、班の親族は憤激のあまり、曹操と勢力をあわせて王匡を殺した。1-p.6*, 1-p.019** 2020年12月08日 初平01年(190)36歳:巻1「武帝紀」:春正月、後将軍袁術、冀州牧韓馥、豫州刺史孔伷、兗州刺史劉岱、河内太守王匡、渤海太守袁紹、陳留太守張邈、東郡太守橋瑁、山陽太守袁遺、済北相鮑信、一斉に挙兵し、衆は各々数万、袁紹を推して盟主とする。曹操は行奮武将軍となる。1-p.6*, 1-p.018** 2020年12月08日 中平06年(189)35歳:巻32「蜀書・先主伝」裴注引『英雄記』:霊帝の末年、劉備は京師にいた。後に沛国に帰る曹操に同行して、兵士を募集した。たまたま霊帝が崩御して、天下は大いに乱れ、劉備もまた董卓打倒の軍隊を起こした。4-p.872*, 5-p.028** 2020年12月08日 中平06年(189)35歳:巻16「任峻伝」:曹操が関東で挙兵し、中牟に入ってきたとき、衆は誰に従うべきかわからなかったが、任峻は同郡の張奮と話し合い、群を挙げて曹操に帰順した。峻はまた別に宗族及び賓客家兵数百人を集めて、曹操への従属を願い出た。曹操は大いに喜び、峻を表して騎都尉とし、従妹を娶わせ、非常に親しんで信頼した。曹操が征伐に赴くたびに、峻は留守を守って、軍の補給を担当した。2-p.489*, 3-p.153** 2020年12月08日 中平06年(189)35歳:巻12「鮑勛伝」裴注引『魏書』:曹操が始めて己吾において挙兵した時、鮑信(鮑家は知識人層)は弟の韜とともに兵をもって曹操に応じた。2-p.384*, 2-p.427**