2020年 一覧情報 2020年12月08日 中平06年(189)35歳:巻9「曹真伝附曹爽伝」裴注引『魏略』:丁謐の父、丁斐は、初め曹操に従っていたが、彼が同郷人であることから、曹操は特別可愛がった。斐は財貨を好む性質で、しばしば法に触れることをしたが、そのたびに許された。典軍校尉となって内外を取り仕切ったが、意見を述べるたびに採用されることが多かった。1-p.289*, 2-p.186** 2020年12月08日 中平06年(189)35歳:巻9「曹真伝」:曹真、若い頃から一族の曹遵・同郷の朱讃とともに曹操に仕えた。1-p.282*, 2-p.169** 2020年12月08日 中平06年(189)35歳:巻9「曹真伝」裴注引『魏略』:曹真はもと秦の姓で、曹氏に養育された。ある説では、その父伯南は昔から曹操と仲がよかったが、興平の末、袁術の一味に追われた曹操を匿い、身代わりとなって殺された。この功績に感じた曹操は姓を曹に変えさせたのだ、と。1-p.281*, 2-p.167** 2020年12月08日 中平06年(189)35歳:巻9「曹真伝」裴注引『魏書』:(曹真の父)邵は、忠篤にして才智あり、曹操に信頼されていた。初平中、曹操が義兵を起こすと、邵は徒衆を集めて曹操に従った。時に、豫州刺史黄琬が曹操を殺害しようとしたが、曹操はこれを避け、邵のみが害に遇った。1-p.281*, 2-p.167** 2020年12月08日 中平06年(189)35歳:巻9「曹真伝」:曹操の族子、曹真、曹操が挙兵した時、父が州郡に殺される。曹操、真の幼くして孤児となったのを哀れに思い、諸子とともに養育し、曹丕と起居を共にさせた。曹操、曹真の勇猛さを高く評価し、虎豹騎を率いさせた。1-p.280*, 2-p.166** 2020年12月08日 中平06年(189)35歳:巻9「曹休伝」:曹操の族子、曹休、十余歳で父を失い、仮埋葬した後、呉に渡ったが、曹操が初めて挙兵した時、姓名を変えて荊州まで至り、北上して曹操に会う。曹操は、「これは我が家の千里の駒だ」といって、曹丕と生活を共にさせ、我が子のように待遇した。常に征伐に従わせ、虎豹騎を率いて宿衛に当らせた。1-p.279*, 2-p.163** 2020年12月08日 中平06年(189)35歳:巻9「夏侯淵伝」:曹操が挙兵した時、夏侯淵は、別部司馬・騎都尉として従い、陳留・潁川太守に遷った。1-p.270*, 2-p.144** 2020年12月08日 中平06年(189)35歳:巻9「夏侯惇伝」裴注引『魏書』:曹操が始めて挙兵したとき、史渙、客として従い、行中軍校尉となり、征伐に従うときは常に諸将を監督。信頼され、中領軍に拝せらる。1-p.270*, 2-p.143** 2020年12月08日 中平06年(189)35歳:巻9「夏侯惇伝」:曹操が初めて挙兵したとき、夏侯惇は常につき従った。1-p.267*, 2-p.137** 2020年12月08日 中平06年(189)35歳:巻22「衛臻伝」裴注引『先賢行状』:曹操が陳留に至った時、始めて衛茲と会って、ついに同盟を結び、軍事を起こそうと計画した。衛茲は、「乱が起こって久しいが、武力以外にはこれを収束させる方法がない」「武力を起こす者がこれから出てくるでしょう」と言い、興廃の道を示し、曹操の計画に真っ先に賛同した。三千人の兵を集め、曹操に従って滎陽に入り、終日力戦したが、戦死した。3-p.648*, 3-p.497**