2020年 一覧情報 2020年12月08日 中平06年(189)35歳:巻22「衛臻伝」:衛臻の父、衛茲は、三公の辟に応じなかったが、曹操が初めて陳留に来た時、「天下を平定するのはきっとこの人だ」と言い、曹操もまた彼を高く評価してしばしば大事を相談した。3-p.647*, 3-p.495** 2020年12月08日 中平06年(189)35歳:巻1「武帝紀」裴注引『世語』:陳留の孝廉、衛茲、家財を散じて曹操の挙兵を援助し、その衆は五千人あった。1-p.6*, 1-p.018** 2020年12月08日 中平06年(189)35歳:巻1「武帝紀」:董卓、何太后と弘農王(少帝弁)を殺す。曹操、陳留に至り、家財を散じ、義兵をあつめ、董卓を誅伐しようとする。冬十二月、始めて己吾で挙兵した。1-p.5*, 1-p.016** 2020年12月08日 中平06年(189)35歳:巻1「武帝紀」裴注引『世語』:中牟では(曹操を)逃亡者ではないかと疑い、県に拘束した。時に、掾もすでに董卓からの書簡を受け取っていたが、ただ功曹だけは心にそれが曹操であることを知り、今は世の中が乱れているから、天下の雄俊を拘束するのはよくないと考え、そこで県令に進言して釈放させた。1-p.5*, 1-p.017** 2020年12月08日 中平06年(189)35歳:巻1「武帝紀」:関を出て、中牟を通り過ぎるとき、亭長に疑われて県に連行されたが、邑中に密かにこれを曹操と知る者があり、頼んで解放させてやった。1-p.5*, 1-p.016** 2020年12月08日 中平06年(189)35歳:巻5「后妃伝(卞皇后)」:曹操が董卓から逃亡し、死んだという知らせが袁術から来た時、左右の者たちはみな家に帰ろうとしたが、卞氏は彼らを説得して引きとめた。曹操はこれを聞き、善しとした。1-p.156*, 1-p.373** 2020年12月08日 中平06年(189)35歳:巻1「武帝紀」裴注引孫盛『雑記』:曹操は食器の音を聞き、自分を始末しようとしていると思い込み、ついに夜にまぎれて彼らを殺した。後で悲惨な気持ちになり、「自分が人を裏切ろうと、人に自分を裏切らせない」と言い、かくして立ち去った。1-p.5*, 1-p.017** 2020年12月08日 中平06年(189)35歳:巻1「武帝紀」裴注引『世語』:曹操は呂伯奢を訪ねたが、伯奢は不在で、子どもたち五人は皆曹操を礼儀正しくもてなした。曹操は自らを董卓に背いた身だと思っていたから、彼らは自分を始末するつもりかと疑い、手ずから剣を手にして夜にまぎれて八人を殺して立ち去った。1-p.5*, 1-p.017** 2020年12月08日 中平06年(189)35歳:巻1「武帝紀」裴注引『魏書』:曹操は、董卓はきっと失敗するだろうと思い、任命に応じず、郷里へ逃げ帰った。数騎を従えて古馴染みの呂伯奢を訪ねたが、伯奢は不在で、その子と賓客たちが曹操を脅かして馬や物を奪い取ろうとしたので、曹操は手ずから数人を殺した。1-p.5*, 1-p.017** 2020年12月08日 中平06年(189)35歳:巻1「武帝紀」:董卓、曹操を驍騎将軍に任命して共に事を謀ろうとしたが、曹操は姓名を変えてひそかに東へ逃亡した。1-p.5*, 1-p.016**