2020年 一覧情報 2020年12月08日 中平06年(189)35歳:巻1「武帝紀」裴注引『魏書』:曹操、何進が宦官一掃のために董卓を召したことを聞いて笑う。「宦官は古今にあって当然。ただ、君主は彼らに権力や恩寵を与えてこのような事態に至ることがないようにすべきだ。その罪を処断するなら、その元凶を誅するべきで、獄吏一人で十分だ。どうしてごたごたと外の将軍を呼び寄せる必要があろう。彼らを皆殺しにしようとすれば、事は必ず露見するだろう。私にはその失敗が見える」と。1-p.5*, 1-p.016** 2020年12月08日 中平06年(189)35歳:巻1「武帝紀」:霊帝が崩御し、少帝(14歳)が即位、何太后(何進の妹)が朝政に臨む。大将軍何進、袁紹と謀って宦官を一掃しようとするが、何太后は聞き入れない。何進はそこで董卓を呼び寄せ、太后を脅そうとしたが、董卓が至る前に殺された。董卓は都に到着すると少帝を廃して弘農王とし、献帝(9歳)を立てた。都は大いに乱れた。1-p.5*, 1-p.016** 2020年12月08日 中平05年(188)34歳:巻8「張楊伝」:霊帝、寵愛していた小黄門の蹇碩を西園上軍校尉とし、その補佐として天下の豪傑たちを集めた。袁紹や曹操も校尉となった。1-p.250*, 2-p.090** 2020年12月08日 中平05年(188)34歳:巻1「武帝紀」:金城の辺章・韓遂、刺史・郡守を殺して叛乱を起こし、衆は十余万、天下騒乱す。曹操、典軍校尉に徴せらる。1-p.5*, 1-p.016** 2020年12月08日 中平05年(188)34歳:巻13「華歆伝」:王芬、華歆・陶丘洪を呼び出して霊帝廃立の謀略を持ちかける。華歆はその失敗を予見し、洪を引き止めた。2-p.401*, 2-p.470** 2020年12月08日 中平05年(188)34歳:巻1「武帝紀」裴注引『魏書』:曹操の王芬の霊帝廃立を拒否した辞を載せて「……今、諸君はいたずらに昔の成功例を見るばかりで、今の情況の困難さを見ていない。諸君、自ら考えてみてくれ。衆と結ぶこと、党と連なること、どうしてかつての七国に勝っているか。合肥侯の貴さは、呉・楚と比べてどうか。それなのに非常行動を起こし、必勝を期待するのはなんと危険なことか」と。1-p.4*, 1-p.015** 2020年12月08日 中平05年(188)34歳:巻1「武帝紀」裴注引司馬彪『九州春秋』:陳逸(陳蕃の子)と術士襄楷、王芬の会合で宦官勢力の一掃を謀る。王芬は許攸らと結び、霊帝が河間の旧宅に北巡するのに乗じて反乱を起こそうとし、黒山賊の討伐にかこつけて軍隊の出動許可を求める。が、太史(天文係)の進言により、皇帝は巡狩を取りやめ、王芬を召し出す。王芬、恐れて自殺。1-p.4*, 1-p.014** 2020年12月08日 中平05年(188)34歳:巻1「武帝紀」:冀州刺史王芬・南陽の許攸・沛国の周旌ら、豪傑を連結し、霊帝を廃立して合肥侯を擁立しようと謀り、曹操に告げるも、曹操はこれを拒否。王芬らの計画は失敗した。1-p.4*, 1-p.014** 2020年12月08日 中平04年(187)33歳:巻9「夏侯淵伝」:曹操が家にいた時、かつて県官のことがあって夏侯淵が代わりに重罪を引き受けた。曹操は彼を救い出し、免れることを得た。1-p.270*, 2-p.144** 2020年12月08日 中平04年(187)33歳:巻1「武帝紀」裴注引『魏書』:権臣は朝政を専らにし、貴戚は放恣を極めていた。曹操は道を外れて彼らに調子を合せるということができず、しばしば衝突したので、家に禍が及ぶと考え、宿衛として皇帝の側に留まることを願い出た。議郎に拝せられたが、しょっちゅう疾病にかこつけて郷里に帰り、城外に家を建て、春夏には読書、秋冬には狩猟を行い、自らの生活を楽しんだ。1-p.4*, 1-p.014**